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中国4000年ノ歴史アルネ
アジサイの広場
幸子あさも中2
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 「情報」「知識」「知恵」。この三つの中で一番大切なのは、「知恵」である。知恵
があるかないかは、ものを自分の頭でじっくりと考えているかいないか、の違
いではないかと思う。ファーストフードの店に行った時、二十数個のハンバー
ガーか何かを一人で頼んだのに、お店のおねーさんに「ここでお召上がりになり
ますか。」と聞かれた、というはなしは笑い事ではない。子供ばかりでなく、大
人も考える訓練をしなければならない。
 
 確かに「知恵」は必要である。知識として教えられたこと意外のことが起こっ
た時、どうしていいのかわからなくなる。小さい時、「知らないこわいおじさん
にはついて行っては行けないよ」と言われたことがあるだろう。これを言われ
た子供は、知識として、“知らないこわいおじさんにはついていかない”と覚
えるとする。しかし、誘拐魔などは、有無を言わさずいきなりつかまえて車に
押し込むか、にこやかな“優しいおじさん”をよそおっていく。だいたい、女
だったりお兄さんだったりしたら、子供はあっさりとついて行ってしまうので
はないか。押し込まれた場合はしかたがない(?)が、もし子供のお母さん(もし
くはお父さん)がマニュアル通りでなく、もうちょっと考えて、「知らない人に
ついてっちゃ駄目」と言えば、その子は誘拐されなくてすんだのである。(も
っとも、そうしたら新しく出来た友達の家にも遊びに行けない子供になっちゃ
うけど。)
 
 しかし、マニュアルや情報、知識も大切である。それがなければ、原始人に
なれと言っている様なものである。新しい原子を発見したりして、新聞に載っ
ていばっているおっちゃんたち。私は彼らに言いたい。「じじいっ!!その原
子顕微鏡は誰が発明したんだ!?って言うか、原子顕微鏡を発明した人だって、
その鉄とかレンズとか…そのものだって…人間何万年という歴史がつくったも
んなんだぞ?!」と。だから、今の人間はなにかしようとしたら、マニュアルや
情報、知識がなければ、ほとんどなにもできない。
 
 だから、「知識」や「情報」を得たら、自分で考え、「知恵」にしていくこ
とが大切である。そして、知識と知恵を使い分けることが必要である。昔の人
は孔子とかの考え方を習っていた。知恵のない人は、「へーそーなんだー」で
おわるが、知恵のある人は、論語の中から儒学を、などなどいろいろ生み出し
ていったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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