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ひとこと
芸術と点数
アジサイの広場
風間こと大2
 私が中学校の頃の試験に音楽と美術があった。どちらも世の中では芸術と呼ばれているものだ。私
は芸術とは『自分の中にあるものを表現したもの』だと思っている。それを試験にし点数化しようと
するのは非常に無茶な事だ。個人差の問題もあるし上手も下手も本人さえ満足すれば何ら問題はない
。ピカソの絵にしても何億円もの価値があるが興味の無い人から見れば『ただの奇妙な絵』でしかな
い。芸術には『人それぞれの見解』によってゴミにもなれば金にもなる性質がある(先生だったら点数
をつけるように見る)。今の社会は芸術を『金』として見る傾向が強い。
 芸術を価値あるものとしてみる場合、当然その作品を評価する人の『目』が問題となる。高校の美
術の時間に先生が『この絵はあまり見栄えがしないね』といったことがあった。その絵を描いた友人
は市のコンクールで何度か賞を貰った経験があったのだが。芸術は時と場合と見る人の目によって大
きく変わる。
 芥川龍之介の作品に『地獄変』がある。主人公である絵仏師良秀は当代髄一の画家だった。彼は完璧
な作品を完成させようと自分の娘を犠牲にしてまで絵を完成させた。『芸術至上主義』である。芸術
は自分のために自分が満足するために存在する。少なくとも私には人の一生懸命、創り出した『芸術
』という作品を評価することはできない。
 エミールは『人間の手に移ると全てが悪くなる』と言った。今の社会に例えるなら『お金が関係し
てくると全てが悪くなる』だろう。芸術に限らずスポーツもそうである。世の中どんなものでも評価
する時その人の『色眼鏡』が無意識の中に関与してくる。その『色眼鏡』が芸術の価値を上げたり下
げたりする。私の音楽と美術の点数は良くなかった。もし将来、芸術家になろうとしている学生に酷
な評価をしたら、どれほど傷つくだろうか。もしかしたら、その評価しだいで才能を潰してしまう可
能性もある。私自身にしても、もしかしたら二十一世紀を代表する芸術家になっていたかもしれない
のに。