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ひとこと
レッテル
アジサイの広場
風間こと大2
 よく学校で髪の毛を染めている学生を見ると『不良だ』とか『おちこぼれだ』と言う人がいる。確
かに、それらの学生は人よりも勉強ができなかったり、すぐ手を出してしまうタイプかもしれない。
しかし、そんな彼らにすぐ『不良だ』とか『おちこぼれだ』というレッテルをはるのは間違いではな
いか。世の中、好きで『不良』や『おちこぼれ』になる人はいない。家庭の問題、友人関係、思春期
における精神の不安定さ、、様々な原因が存在する。私たちの社会ではレッテルを貼ることで物事を
簡単に整理しようとする傾向が強い。安易な『レッテルはり』は非常に危険であるという事を私たち
は認識する必要がある。
 私の高校時代の友人に『生徒会長』というあだ名の付いている人がいた。もちろん彼が生徒会長をや
っていた、という理由もあるのだが『まじめそうな雰囲気』が『生徒会長』というあだ名、つまりレ
ッテルを付けやすくしていた。クラスで何か物事を決める時、何も関係ないのにすぐに『生徒会長』
としての意見を問われる。少しふざけた事をすると『生徒会長がそんな事やっていいのかよ』と言われ
る。もし私が彼だったら、そんな窮屈な生活は耐えられないだろう。
 よく週刊誌や新聞に『あの清純派タレントが』とか『美人女子学生殺傷事件』という文句を見かける
。この『清純派』や『美人』というレッテルはマジック・フレーズのようなもので単なる事件でも、
これらのレッテルをはることで、あたかもショッキングな事件のように聞こえてしまう。確かに本当
に『清純派』で『美人』かもしれないがマスコミの本質は真実を報道することなのだから普通に考えれ
ば、これらのレッテルは必要の無いはずだ。その中には商業主義という名の元に事実の歪曲を平然と
しているのも少なくない。
 『レッテルをはる』という行為は非常に危険である。レッテルは一度はったら、それを剥がすのは
容易ではない。中には、そのレッテルで一生、苦しんでしまう人もいるだろう。『外見は、その人の中
身を表す』という文句があるが私は、そうは思わない。『その人の中身は、その人自身しか分からな
い』と私は思う。