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ひとこと
サングラス
イチゴの広場
荻野あつ高3
 その昔、サングラスをかけて街を歩くためには、常にある種の視線を予定しなければならなかった
。もちろん、今はもうそんなことはないが、どことなく後ろ暗いところのある人、という印象も薄れ
たかわりに、それに伴うロマンチックな趣も消えてしまった。周囲の人々の関心を引かなくなった分
、よりさり気なく隠れることが出来るようになったのかもしれない。現在、人に見られ、批評され、
こちらからもそれを返すことによって形作られていた対人間関係のわずらわしさから、いっせいに逃避
し、自分自身の内側へこもりはじめたのである。わたしは現代の匿名性を否定する考え方に問題がある
と思う。
 今日、よく匿名性が問題になる。これだけの人間が狭い日本に身を寄せ合って住んでいるのだから
、人目に触れたくないというのも当然のことであろう。偶然に見つけた隠れ蓑でさえも犯罪の温床と
なるといって排除される。一歩外を出れば監視カメラだらけで、誰からも監視されていない私的な場所
というのは自分の家ぐらいであろう。私は日本人というのは特に私的な場所を大切にする民族である
と思う。日本の家屋ではごく小さい庭でさえも柵を作り外部からの視線を遮ろうとする。
 欧米でも柵を立てる家はあると思うが、それは外部からの視線を遮るためではなく、主に防犯のた
めのように思える。日本人が私的な場所を大切にするのは、日本という狭い敷地の中でうまく住むた
めの知恵だろう。
 「隠れ蓑」という昔話の中で彦一は天狗から自分の姿を消せる蓑をもらい、それを身にまとって人
々にいたずらをした。これは今日でも起きていることである。早くからは電話、そして、今日ではイン
ターネット、伝言ダイヤルといった匿名性が発揮された情報活用手段は、これからは以前にも増して
その効力を増してくるだろう。それを利点を利用してうまく使うか、悪用するかはそれを使う一人一
人に委ねられている。
 今後匿名性を利用した犯罪はますます増加してくるであろう。しかし、匿名性を法律で規制すれば
、その利点も失われてしまう。匿名性の持つ利点というのは想像以上に大きく、それを失った時の人
間の精神的ダメージは相当なものだと思う。日本の女性が着る着物には自分の体のラインを隠すとい
う意味もあるという。匿名性を昔から重んじる日本人が将来匿名性を完全に失うということになれば
、サングラスだけでなく体全体をすっぽり隠すような服が出てくるかもしれない。