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ひとこと
不思議
イチゴの広場
紫電改うの中2
 「不思議」と言えば、「私」という人間がこの世に存在しているということほど「不思議」なことはない
のではなかろうか。自分が意志したわけでもない。「私」の不思議を忘れたましいのことを忘れて生き
ている人に、その「不思議」をわからせる点で、児童文学は特に優れていると思う。私が児童文学を好
きなのは、このためである。現在のように個人主義が進んできて、その生き方をある程度肯定するも
のにとっては、個人にふさわしい物語をもつ、あるいは作り出す必要があると思われる。と言っても
、誰もがそのような物語を作り出す才能があるわけではない。そのために、そのときどき自分にとっ
て必要な物語、あるいはそれに類似のものを他人のつくったもののなかから見つけ出すことをしなけれ
ばならない。自分の生涯そのものが世界のなかで他にはない唯一の「物語」である。
 物語というものは、自分に必要なものである。自分は物語の主人公になぞることが多いということ
がある。私は、これといった好きな本はないけれど一つの本を何回も読んだりしている。児童文学の
本というものは、ある意味で心の教科書みたいなものである。児童文学の本からは、色々なことを多
く学び取ることができる。そして心の豊かさを養うことができる。
 昔話では、シンデレラ、みにくいあひるの子などくらしていくなかでつらいことなどが多かったが
最終的に恵まれることになる。このような話では、自分というものがなぜいるのだろうということを
考えずに、がんばるということが多いのである。
 今、子供から大人まで児童文学のような本が必要になってくる。世の中では、学校の成績、おこづ
かいなどの数字的なものが重視されがちで、心や自分に対する意思みたいなものが軽視されがちである
。しかし、心や自分に対する意思みたいなものは数字的なものより生きていくうえで非常に大切なこ
とである。「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたと
おりに考えるようになってしまう。」という言葉もあるように、本などから多くのことを学びいろいろ
な考えを持てるようにならなくてはいけない。これからは、私も多くの本を読み心や自分にたいする
意志みたいなものを考えていきたい。