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ひとこと
その昔、サングラスを
アジサイの広場
T.Oいう高2
 昔はサングラスをかけることは、一種のロマンチックな趣があったとともに、自分が人にはあまり
言えないような後ろめたい職業に就いているという視線をうけることだった。ところが、現在では何も
珍しいことはなく自分の視界が暗くなった分自分からはまわりが見えるが、周りからは自分の姿が見
ないだろうといった錯覚に陥り、孤独感を味わうことができるというのだ。こういった感覚を味わい
たくなるというのは、日常生活に少なからずストレスを感じているからかもしれない。
 私は人と賑わいながら過ごすことが嫌いなわけではないのだが、どちらかというと一人でひっそり
と過ごすほうが好きである。割と人間関係もドライなほうであり、それはそれでいいのだが言い換えれ
ば人前から隠れたがる、あるいは知らず知らずに自分を隠すことを一種の美徳のようにとらえている
のである。
 最近目だってきたインターネットを利用した薬物販売による犯罪も、名前を隠しさえすればどんな
ことだって実行できると思い込み、なおかつ情報社会の発達に乗じた人間が引き起こしたものだろう
。「てんぐのかくれみの」では主人公の彦市は、かくれみのが灰になってもそれを体にかけ捧げもの
に手を出したりなどいたずらの限りをつくした。私たちは例えば、アンケートをとったときに記名制
だと無意識のうちに遠慮してしまうが、無記名だと結構平気で厳しいことを書く。自分自身の内側に
閉じこもることを当たり前のことのように思ってしまっているのである。
 孤独にばかりしがみついているのは、確かによいこととは言えないがそういつも人と一緒にいるわ
けにはいかない。独りになって自分について考えてみることも、人間的成長には欠かせないし、誰でも
人ひとりいない世界に浸りたい願望はある。しかし、自分を隠すことと独りになることはまったく異
なったことである。サングラスをかけたからといって、自分の存在そのものを世間から一切消し去る
ことはできないし、逆に世間から見たら自分が隠れみのを着ていようといまいと、一つの生々しい実
体なのである。自分自身が、一体どのような人間なのかを独力で考えることが独りになることであり
、これからの私たちはサングラスなしで他人と対面できるようにしなければならないのである。