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私の机
イチゴの広場
ドリカムうせ中2
 産業革命以来、進歩はイコール人類の幸福と言われていたが、今や、これを
補うために生物学的な発想が用いられている。言葉として、「20世紀は機械
の文明だったが、21世紀は生物文明の時代になる。」と言うのがある。イン
テリアの分野を例にすると、今の都市空間では、よそゆきの冷たい美しさで整
いすぎで、人間がなかなか住みつかない。確かに住まいの環境が美しくある事
は、望ましい事に違いないが、芸術第一主義では、庶民にはとても住めない。
庶民は人間であるよりも先に生物なので、生物本来もっと泥臭いものと考えら
れる。舞台装置のインテリアより、素朴な材料で囲まれた泥臭さの中に、なに
か人間の本質と言ったものが潜んでいるのである。
 
 この前、友達と久しぶりに桜木町へ行った時、とても近代的でびっくりした
。見た目はとてもきれいなのだが、歩いて買い物していたら、とても疲れてし
まった。お店の置き方は、見やすくできていて、買い物にはとても便利なのだ
が、歩くところが開放感がありすぎて、かえって緊張してしまうのだ。すべて
回る前に、へとへとになってしまった。それに変わって、浅草へ遠足に行った
時、初めて行ったのだが、疲れなかったのである。
 
 また私が飼っているハムスタ−は、週に一度ある掃除を嫌がる。新聞紙を変
えたり容器をきれいに洗ったり、部屋の模様替えをすると、次の日には、きれ
いに固めといた新聞紙をぐちゃぐちゃにして、私の心を踏み滲る。もし容器が
軽かったなら、容器も、自分の気に入ったところに無残に転がっているのだろ
う。ハムスタ−は、奇麗に整とんされているより汚い方が好きなのである。私
もそうなので、飼い主に似たのかもしれない。
 
 しかし、奇麗便利な方が効率が良くなり楽なのである。機械のおかげで、人
間が日常でやらなければならない、洗濯や歩いて買い物へ行く事がなくなり、
それについての時間が省ける様になり、人間の思いどうりになったのである。
 
 私の机は、奇麗でもなく汚くもない。しかし、それがとても使いやすいので
ある。私達はそういう物をこれから取りいれていかなければならない。清潔で
、かつ私達に密着したものを。