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学校教育の現状といじめ
ウグイスの広場
高橋あたへ高3
 最近のいじめは、上下関係も何もない、全く管理されていない、ある意味で
は自由ないじめになってきている。つまり、誰が誰をいじめても構わないし、
誰も助けなくて構わない、さらには、こちらから助けを求めないかぎり誰も助
けてくれないといういじめに変わってしまったようだ。実際、私は上級生から
いじめを受けたこともなければ、下級生をいじめたこともないし、さらに同学
年以外の友人も存在しない。これほどまでに、通常の学校生活における上下関
係は希薄化している。
 
 もはや世代関係におけるいじめとその管理が無くなってしまったし、年長者
が年少者を保護したり指導したりする経験を現在の学校には期待できないので
、私は自分で自分の身を守るしかないと思っている。確かにこの点については
、私の学校不信の影響も大きくあるが。この対策として筆者は、個性が重視さ
れない学校の体制に対し、複数の要素による競争という方法を提案している。
しかし、本当にうまくいくだろうか。まずは学校という場で、自由な意見が尊
重されるような環境を築くことが先決である。なぜならば、他人の個性の尊重
すらできない生徒達が、個性を発揮した生徒を変わり者、異端者としていじめ
る可能性があるからだ。だから今の学校は、このようないじめを未然に防止す
るために、全ての個性を抹殺しようとしている。そうすれば、学校に都合の悪
いことは全く起こらない。要するに、全てが平等であれば、何も起こらないと
いう事なかれ主義である。しかし、本来の学校という場は、平等主義を強制す
る場ではなく、競争の楽しさと意見の多様性を教える場である。だから、私は
筆者の序列を付けるという意見には、多いに賛成できる。単純化された評価価
値基準は、それで溜められたストレスを解放するためにいじめを誘発するだろ
う。反対に、個性を尊重できる、適切な環境における複数の評価価値基準によ
る序列化は、自分の順位、立場を明確にする働きがあるものと考えられる。普
通の人間は、立場をわきまえて行動するので、そうでないいじめは減少するだ
ろう。
 
 ところで、筆者は、学校では受験勉強という種目しか提供していないと指摘
しているが、実はそういった種目すら存在しない。私が得意な種目は、まさに
受験勉強であるが、できるがゆえに、先生達の反感を買い、一切の授業中の発
言を禁止されている。私の質問は、授業妨害だというのだ。一切の自由と競争
を奪った世界が、学校という場なのである。勉強の世界まで、平等主義が支配
している。出る杭は打つのが、今の学校の役割だ。しかし、先生達はひそかに
自分の受け持つ生徒がいわゆる名門校に進むことを期待している。ここに最大
のアンビバレンスが存在する。そこで、欺瞞を味わった10代の男女の約16%が
、カラオケというストレス発散の場で、打たれた杭をもう一度出すのだ。でな
くては、学生生活は本当につまらないものになるだろう。
 
 しかし、本当にいじめにおける上下関係は全く無くなったのだろうか。私は
以下の根拠をもって反論したい。このいじめがいまだに行われている場は、部
活動である。毎年数人の部員が、いじめを苦にしてやめていく。ほとんどが、
先輩からの「しごき」などである。確かに一時期よりも減ったにしろ、いまだ
に存在していることは否めない。もちろん練習がきつくてやめた人も大勢いる
のだが、先輩の道具を後輩に担がせて、試合場に歩いていく姿は、私にはいじ
めとしか思えない。しかし日本の社会は、これを年長者に対する礼儀として、
受け入れてしまうのだ。先輩に歯向かわず、何事もしないものだけが、失敗も
しないのだ。これは、政治の世界でも一般社会でも指摘されている事なかれ主
義そのものである。学校は、その流れに頑として対抗しなくてはならない。そ
ういった教育から、社会が変わり、政治が変わり、再び教育改革がなされるの
である。
 
 
 
 
 
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 54分かかりました。
 
 少し内容が課題長文とずれたのと、結論が飛躍したような感じがします。何
だか感想文というよりも、オリジナルのようになってしまいましたが、長文か
らインスピレーションは受けています。
 
 自習は10月1週目、2週目共に全問正解。努力した甲斐がありました。