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アジサイの広場
たきあし高3
 私達を内在する受験社会は、もっぱら文字のみによる教育に頼っていると言
える。事実私は勉強を机にかじりついてしかせず、例えば理科の実験など記憶
の中で薄れている。私達が生活で必要なことを学ぶ「学習」はもはや本来の定
義を外れ、興味がもてないような専門分野が一人歩きをしてしまっている。今
後の教育の現場で必要なものは、実体験に極力役に立つ「学習」だ。その実現
の為に、私を取り巻く環境の中では以下の二つのことが考えられる。
 
 第一に、社会での試験の体制を変えることだ。大学受験にしても、志す専門
分野に関する試験にすれば、即役に立つ知識となり得る。現在一般常識として
必要とされている専門分野以外の科目はなくし、空いた時間で専門にやりたい
ことの研究を納得のいくまでやることだ。日本の社会では、アフリカの生活と
はまた違ったものが必要とされている。そのことを自分の手で見出していくこ
とが重要なのだ。
 
 第二に、本当に必要とされる教科を絞るべきだ。今日の文化を構成するに必
要な知識を今一度考え、不必要なことは削ぎ落とさなければならない。英語の
学習にしても、6年間も日本で習うよりも、2ヶ月ホームステイした方がより実
生活に必要な知識が得られるといえよう。一方で必要な日本での一般知識も、
かなり削ぎ取れるはずだ。勉強がつまらなくて学校を辞めてしまうものは多数
いるが、彼らの不満はそうすることによってだいぶ解消されることだろう。
 
 確かに「文字を用いた教育」は万能性を持っており、様々な分野に対してあ
る程度有効である。しかし「文字を必要としない教育」の持つ生活に密着した
、実際に役に立つ教育もまた見直されなくてはならない。後者の教育は自主的
な学習意欲をかきたてられるし、実際に面白いはずだ。今後求められる「望ま
しい教育」とは、その教育を受けたものが自分の好きな分野を、好きなだけ深
められるという、先駆者を多数生み出せるような教育だといえよう。