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嫌いな勉強と好きな勉強 アジサイの広場
スヌーピーいうわ小6 がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使いる。「勉強しなさい」とは、学校でも家でもよ くいわれることだ。「べんきょう」というのは音読みですが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができる。「つとめる」とは 一所懸命にはげむこと、「しいる」とは無理やりさせることといった意味だ。つまり、「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味の中に、 何かを無理じいするニュアンスがふくまれているため、はじめからいやな印象がつきまとっているのだ。  

 私達の暮らしにも「勉強」に対してそういう印象が深く関わっていることはないだろうか。私の母はよく私に「勉強しなさい」としつこく言って
くる。私はうるさいなぁと思いながら自分の部屋に行くがいやな気持ちで勉強してもなかなかはかどらなくてすぐ他の物へ気がいってしまう。その 上、勉強をしている時間がとても長く感じられるのだ。けれども、私が好きな料理や工作といったものをするときはいつも自分からやっている。私 が料理をしたり工作をしたりするのが好きだからか分からないが、何故かとてもはかどるし、その時間がとても短く感じられるのだ。それに、料理 では作った物の材料や分量をはっきりと覚えていることが多いし、工作では失敗をいかして「次に作るときは先にあれをやってつぎにこれをやる」 と思っていたことがちゃんと覚えていられるのだ。3年生の時に初めてカレーを作ったけれど2回目の作るときにははっきりと私の家流の分量をち ゃんと覚えていたのだ。時々水の分量を間違えて、スープのように水が多くて大好きなカレーもおかわりをしなかったことを覚えている(笑)。け れども、そういう失敗をいかして次に作ったときにはあくを取るときに水が多いなと思ったら水をどこまで少なくするということを覚えていられた 。ところが、私の苦手で嫌いな国語、算数、理科 といったものはなかなか覚えることができないのだ。だから私はもっと国語や算数、理科といっ た自分が苦手な科目の勉強がもっと集中することができてもっと楽しくできるようになりたい。  

 だから、論語読みの論語知らずということわざのように意味のない勉強を集中できないのにするより意味のある勉強をするべきだ。
 

 
 

 
                                                 
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