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死ぬこと アジサイの広場
日本太郎あねひ中1 人は二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になっ た。最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に抑えられ、現にわが国などは、平均寿命において世界一の数字を誇っている。動物の場合、われわ れとは死の概念自体がずいぶん違うのではないかと思うのだ。彼らにとって死とは、衰弱した精神が描く単純で強烈な恐怖の源ではない。われわれ の精神は死という言葉を聞いただけで毛を逆立てる。肉食獣に追われて逃げきるか喰われるかは一つのゲームである。何度勝った者も最後には敗れ る。自然界には自然死という言葉はない。老衰もない。動物はみな捕食者であると同時に獲物であり、絶対の優位にたって喰うだけという動物はい ない。そして、彼らにあるのは事故死と病死だけだ。  

 僕はこれから死ぬことに対して考え直し、死ぬことを意識して生活して行こうと思った。
 

 第一の理由は、命にも限りがあるからだ。最近は、医学が発達して病気になってもたいていが直せるし自分はそう簡単に死なないだろうと思って
いる人は多いと思う。しかし、それは大きな間違いで治せない病気もまだ多くいつ死ぬかもわからない。ただでさえ、いつ死ぬかもわからないのに もかかわらず簡単に人を殺したりする人がいる。例えば、殺人である。殺人は、いろいろな命が奪われる。だからもう一度命について考え直すべき  

 第二の理由は、他の生き物に比べると長生できるはずなので、その人生を有意義なものにするべきだと思う。
 

 確かに、医学の発展によって長く生きられるようになったからといってただ生きて行こうという考え方もあるが、せっかくの知能が無駄になって
しまうので、僕は、何か目標を持ってそれに向かって生きて行こうと思った。                                                  
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