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子供時代 ウグイスの広場
はるるくあ中2 不思議な、あるひそかな不安を感じながら、私は少年時代に喜びを味わった、なじみの場所を見回した。それらは、昔とは違った顔をしていた。庭 の隅に古い水桶が水道の栓とともにひっそりとそっけなく立っていた。風雨にさらされたその水桶は、私にとって忠実なお気に入りで、気晴らしの 相手であった。それを見つめていると、あの子どもの頃の喜びの余韻さえパッと心に浮かんでくるのであった。が、それは悲しい味がした。  

 確かに甘えていた子供時代を捨てて、自立するのは大切なことだと思う。けれども、子供時代というものはとても尊いものなのではないだろうか
。大人では発見できないものを発見できたり、素のままの心で自然と触れ合えるのだから。私も幼い頃、道路に水を流してそれを大きな川だと思い こんでみたりして遊んでいた。今思うと、無駄なことかもしれないけれど、その想像力とかは結構大切なものだったのではないだろうか。それに、 おもいっきり親にしかられて感じたことだとかも、思い返すと身勝手な気もするけど大切だと思う。そうやって幼い頃感じたものはあとになって自 分の財産になるはずだ。  

 しかし、いつまでも自分勝手な行動はしていられない。大きくなって社会に出た時それは命とりになるからだ。だから人は大人にならなければい
けないのだと思う。だから子供からみれば大人は頭が固く見られるのではないだろうか。大人は昔子供だったのに、子供が感じた不満とか悔しさを 忘れてしまったのだから。  

 確かに、子供の心を捨てることも必要だけど、一番いいのは子供時代の感情を覚えていて、なお大人になれることだ。そうすれば、考えが広くも
てるようになれると思う。なぜ道路に流した水が大きな川にみえたのか、なぜ親に怒られた時悔しかったのか、なぜ今思うとつまらないものなのに 、当時は魅力的にみえたのか。自然と捨てられていく子供時代だけど、それはまるで宝石箱みたいだ。大人になれば分かること、子供の時の思い出 は同じくらい大切なのではないだろうか。  

 
                                                 
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