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Linuxは破壊的存在 アジサイの広場
稔央いつや

 Linuxはこれまでにない新しいモノ作りのあり方を示しているかのようだがしかし同時にそれは基本的な部分で古い昔ながらのモノ作りを踏襲して
いる。インターネットという新しい土壌から生まれたLinuxも新奇なものに見えて実は創造の基本を忠実になぞっているものだといえる。部分解、つ まり既に誰かが作ったものを上手に使い新しいものを生み出す。それこそ人類が繰り返してきた知の営みそのものだ。ただ決定的に違うのは、一人 一人が持っている能力と成果がコンピューターネットワークという新しい触媒によって集結し一気に爆発したことだ。  

 そしてそれはモノ作りの現場の新しい理想的な姿といえるのではないだろうか。Linux開発はネットを利用した完全に自由な参加制度だ。掛け声だ
けで中身が伴わない自由とは異なる。各人は自分の興味を持った問題、得意な問題に取り掛かればいい。好きなことをやっているときに最大の力を 出せるという人間の特徴を利用している。もちろん個人にできることはかぎられているから複数の人間が協力しなければOSのように複雑なものはで  

 最大の特徴は多くの人が参加するのにそれを統御する中央集権型の組識がないことである。国籍や肩書きを超えて膨大な数の人間が参加すること
こそLinuxの強みだ。しかし多くの多様な人間が集まるのはこれまでの常識からすれば非常に厄介な問題だった。誰がどのような特徴を持っているか を把握し、能力に見合った適当な場所に配置することは組識を運営する者の頭痛の種だった。それを解決したのも膨大な数の人間を自由の参加させ ることだった。発想の逆転である。一見無秩序のようでも多くの人間が集まると巨大な秩序が生まれるというのは不思議な逆説だ。ネットワークで 結び付けられた組識のあり方やリーダー像が変わるかもしれない。  

 今後の課題はこのLinux的な開発方法をいかにして他の開発分野に広げていくかだろう。他の産業と比較してみるとやはりLinuxプロジェクトが数
々の幸運な条件の上に成り立っていたことが目立つ。資材の要らないソフトウェア参加者が賃金を求めない、そもそも営利を目的としないプロジェ クトというのがそれだ。ただ、企業の営利追求を離れて世の中の役に立つ良いものを作る、というコンセプトのプロジェクトの未来はLinuxの登場で 明るくなったに違いない。  

 
                                                 
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