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清書:運と実際 アジサイの広場
雅貴あめす小6

 僕は、スイミングを習っている。でも、タイムがなかなか上がらない。
 

 「あ~またタイム上がらへん。くそ~。あそこでもっとスピードが出たらな~」
 

 とよく言う。でも「運が悪い」とは絶対言わない。なぜなら運のせいではなく自分のせいだからだ。自分にはたくさん文句を言う。そうしている
と運もよくなってくると思う。僕は、昔国語がすごく苦手だった。でも言葉の森をやってからだいぶましになってきている。運良く言葉の森に出会 ったから、そうなったのだ。本当にこれは、運が良かったと思う。でも、日常では何も特別なことを行ったわけではないのに、運が良くなった。日 常は関係ないだろう。  

 すごく運の悪いことがおきた。学校でスポーツテストというものがあった。その時何度も走る種目があった。その日たまたま母が
 

 「その靴洗うからもう一つの靴履いていって」
 

 といったのでははの言う通りにした。すると学校で気がついた。
 

 「あ~~~~~今日スポーツテストのある日や。紐がすぐ解けるくつ履いてきてしもた」
 

 そのため記録は、むなしいもので終わった。その後、家に帰ると洗うはずの靴がまだ洗わないまま玄関においてあった。その時は「チャラリーチ
ャラリラリーラー」と言う感じだった。  

 運というものは、僕たちの心の中にあって、本当は何らかの原因があるということだろう。生命が誕生したのも、恐竜が絶滅したのも、運ではな
く原因があるのだ。  

 
 

  
                                     
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