先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
清書:日本人の課題
アジサイの広場
UZI.SMGそお高2


 「昔は良かった」は禁句ではないか。最近このことを考えるようになった。例えば近代化、西洋化される前の日本には伝統的で独特のすばらしい
文化があった。こういう言い方は間違っていると思うのだ。それではいったい何が良くないのか、日本の文化を例に考えてみたい。
 


 まずその言葉に潜む意味合いから考える。「昔は」というフレーズからして今とは違う、自分とは全く関係ない別の空間という観点から話すこと
になる。また「今はダメである」という対比がそんざいしている。だからこの表現には、どうにもならないダメな現状にお手上げでただ昔を懐かし
んでいるという意味が込められている。しかし日本の文化とは刻一刻と変化し現在には現在の文化が存在している。それを端から無視して過去の良
かった点ばかりを強調していては本当に良い文化などありえないはずだ。昔の日本のスタイルから学び、新たなスタイルを生み出している芸術家な
どは探せばたくさんいると思うが、彼らはただ回想にふけっているだけでなく何か新しいものを創造しようという姿勢を持っている。それこそが文
化の建設であるのではないか。今の日本に文句があるのならそうやって作り出していくのが筋ではないか。
 


 次に考えられるのは日本の文化=日本人が独自に一人で作り上げたもの、という発想による偏見だ。これのせいで西洋化された日本を蔑視してし
まうのではないか。確かに中国などを見れば四大文明の一員でありさらに四千年の歴史という全く独自の偉大な文化をもっているが、それは中国の
スタイルであってそのスケールで日本の文化を語っては良くないだろう。よく「日本の文化はものまねの文化だ」という人がいるが、それも一つの
見方である。また、外国にも同じようなものがあるからといってがっかりすることも無い。それは日本が生み出したもの、手に入れてきたものであ
るには違いないのだから。要するに自己評価の基準、価値観に自信がなかったり自己嫌悪に陥ったりしてしまったりすることに問題があると思う。
もっと己を知ることが必要なのだ。
 


 とにかくこのような原因があるにせよ、「昔は良かった」という投げやりな言い方はすべきではない。もっと未来のことを建設的に考えることが
今の日本人に必要だ。たしかに昔に学ぶことは重要だし同じ過ちを繰り返してはいけない。良いことは話題にしても悪いこと、例えば戦争責任など
について「過ぎたことだから」といって忘れ去ろうとするのは最低である。過去を見返すのならば全ての事実を正面から見つめる必要がある。少な
くともいえることは過失を隠蔽する文化は正さねばならない、ということだ。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ