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清書:チロの秘密の男の子を読んで
キジバトの広場
あろつ小4
そのおばあさんはとても変わっていた。なぜかというとバスの中でずっと大きな声を出して歌っていたからだ。みんなうんざりしていた。ぼくもそ
のバスに乗っていたら、
 


 「次のバス停でさっさとおりてくれないかなあ。」と思っただろう。もしも運転手だったら、運転に集中できなくてこまったかもしれない。主人
公の千広は、バスで出会ったそのはずかしいおばあさんが遠い親せきだとわかって、とてもびっくりしていた。
 


 でもおばあさんには悲しい過去があった。昔、歌がすきで歌劇団に入りたかったのに、反対されて家出し、戦争で夫をなくし、さらに一人息子は
川でおぼれてなくなってしまったのだ。小学五年生だった息子が突然なくなってしまったときは、悲しくて悲しくてきっと信じたくなかっただろう
。ぼくと同じくらいの年だ。
 


 千広はこのおばあさんと出会ったときに、不思議な男の子にも会った。その後何度か男の子があらわれて話すようになるうちに男の子の正体がわ
かる。名前は大崎厚志。おばあさんの死んだ息子だったのだ。ゆうれいというよりは、おばあさんが息子を思い続けてできた「本物の厚志をええと
こどり」にした男の子らしい。他の人にはもちろん見えない。おばあちゃんにも見えない。でも千広にはなぜか見える。死んだ人としゃべっている
、とわかったとき千広は顔が青くなった。もしもぼくだったらすっ飛んで逃げるだろう。でも千広はそのままその子と話を続ける。そのうちこわさ
もわすれて、どうして千広に見えるのか、その子がどんな気持ちであらわれているのか知る。
 


 ぼくは厚志が川に飲み込まれたしゅん間、お母さんの顔をきっと思い出しただろうなと思う。そしてお母さんの言いつけを守らずに、増水した川
で遊んで死んでしまったことを、天国でずっと後悔しお母さんにすまない気持ちでいたのだろう。だからお母さんには見えなくてもいつもそばにい
て、お母さんが倒れたときも千広に助けを求めたのだと思う。
 


 この本で、もう一ついいなあと思ったところは、最後に千広が弥生にハッピーバースデイの歌を歌えたところだ。千広は音楽がすごく苦手で、歌
のテストでも酸素の足りない金魚のように口をパクパクさせて、最悪の点数を取った子だ。それに弥生とは作文が原因でずっと気まずいままだった
。つまり千広にとって、弥生にあやまって、人前でハッピーバースティの歌を
 


 歌うことは、二倍の勇気が要ったはずだ。そしてその勇気は、前日「ひなまつり」をいっしょに歌ってくれたおばあさんと厚志からもらったのだ
と思う。
 


 ぼくも厚志のことがこわくなくなった。厚志にはゆうれいということばが全然にあわない。だっておばあちゃんがいっしょうけんめい思って思っ
て心の中にできたのだから、ちょっとふしぎだけれどちょっとうれしいかんじがする。おばあちゃんが自分の心の中をのぞいて、厚志がいつもいっ
しょだと気がつくといいのになあと思う。 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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