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かしらの気持ち
アジサイの広場
一休さんわら小4


  
 


 僕はこの長文を読んでとても気になったところが、いくつかありました。それを、いまから紹介しようと思います。
 


 まず一番最初に気になったのは、「じぶんが通ると、人々はそら変なやつがきたといわんばかりに、窓をしめたり、すだれをおろしたりしました
。」という文です。僕は、実際どろぼうになったことはありませんが、どろぼうのかしらの気持ちはよく分かります。それはなぜかというと、ぼく
はたまに学校の友だちにいじめられます。よくけんかをします。(最後には、友だちに負けます。)そして、友だちは、
 


 「ばーか。ばーかじゃねえの!! 弱虫、意気地なし。」
 


 なんかすごく大げさに言われてしまいます。ぼくはしゅんとして心が小さくなったような気がするときもあります。このように、心の元気がなく
なってしまうのです。
 


 次は、「自分をいい人間であると思ってくれたのでした。」という文です。これは、子供がかしらをいい人だと認めたということです。僕はこの
時のかしらの気持ちは、この時の感動をなみだにして表現をしていると思います。悪い人は本当に悪い人なのかは分かりません。それを見極めるこ
とが、人を見る目というもので、とても大事な事だと感じます。
 


 次は、「人に信用されるというのは、なんといううれしいことでありましょう。」という文で、僕は今のかしらの気持ちは(もう、どろぼうの職業
をやめてふつうの社会人という存在になって、そして、人に役に立つことを一から修行をしよう。)というふうに感じているのでしょう。ぼくはか
しらのまともな仕事がうまくいけばといいなと思います。
 


 僕がこの長文を読んで思ったことは、どろぼうのかしらは本当は、いい人なんだなと言う事です。それはなぜかというと、本当に悪いどろぼうだっ
たら、こんなことは、感じるはずがないからです。みなさんも、みんなに役立つようなことを考えて、一歩、一歩進んでいきましょう!!
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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