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ちょっと間違った解釈 イチゴ の広場
おこじょ あめお 小6

 みなさんには、字が読めないことを意識しつつページをめくり、ここには何が書いてあるのだろうと思い、もどかしい興奮をおぼえたことがあるだろうか
。いや、これは矛盾している。字を知らなければ、読書はできない。だが、私にはある。そこに「漫画の描き方」がのっていた。だが、字は読めない。だか らこそ、ものすごくおもしろかった。さて、「漫画の描き方」は、本来の目的からいえば、鑑賞のための物ではなく、実用のためのものだ。しかし、私にと って、それは謎に満ちた物語だった。これが、本というものが持つ力であると思う。本を読むというのは、場合によると、作者の意図をもこえて、我々にな にかを作って行くことなのだと思う。  

 そのもどかしい興奮は、本だけではないと思う。例えば、「スポーツ観戦」などである。この例は、字を読めないほどの子供の頃という、限られた年代な
どが無いので、だれもが一回は経験していると思う。このスポーツ観戦は、上の、字が読めない頃の読書体験と同じように、ルールの分からないスポーツを みているわけである。無論、僕にも2,3個ほど例がある。サッカーがとても良い例になる。  

 それは、ゴールにボールをシュートして入れれば1得点などは分かる。しかし、逆サイド、フリーキックなどを知っているか聞かれると「エッ、なにそれ?
」のようになってしまう。上の本のように、それが満足できるようなものでは無いが、間違った解釈、もっと違った意味での『楽しい』を生み出せると思う  

 ある芸能人も、ある野球番組でこんな事を言っていた。
 

 「私は、ちょっとした仕事でアメリカの野球場へ行きました。しかし、ルール分からないから、周りが『ワーッ』って一緒に歓声を上げたり、又、アメリカ
のホットドッグも美味しかった。」  

 手ごわい相手、理解できない書に行きあたったりしたら、歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当違いの解釈をすることも多い。だが、そ
れもいいものだと思う。  

 
                                             
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