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子供中心 アジサイ の広場
たば星人 あころ 中2

 母親語ときわめてにていながら、非なるものとして「赤ちゃん言葉」という現象が広く流布している。例えば、日本語文化圏では、赤ちゃんは食べ物のこ
とをさして「まんま」ということが多い。ところが、これらの単語は大人が赤ちゃんに 向かって語りかける時もまったく同じ要領で使用される。一方フラ ンス語文化では赤ちゃん言葉はほとんど聞かれない。赤ちゃんに対しても、大人に対するのと大差ない言葉の用法を使用する。そもそもフランスでは、子供 中心の日本語文化圏とは、かなり著しい対照をなすことが多いようだ。社会の中で子供をどう位置づけるかによって赤ちゃん言葉の発達の度合いは著しい多 様性を示す。  

 確かに日本人の子供を子供として扱う文化にも良いところがある。それは子供に優しく接することによって、子供も優しくなると思うからだ。しかし、そ
れとは反対に悪い面もある。それは、子供を甘やかしすぎることだ。過保護という言葉がある。これは、子供に何でも与えたりするということだけでなく。 家に着くのが少し遅くなったからといってすごく心配したり、子供の問題に一々首を突っ込むこともそうだと思う。過保護になると、子供が自分で問題を対 処する力がなくなると思う。そうすると、いつまでたっても子供の殻からぬけ出せない子供のままだと思う。  

 しかし、欧米の子供を小さな大人として扱う文化にも良いところがある。それは、子供をあまり甘やかさないので、独立心がありしっかりした人になると
思う。しかし、やっぱり短所もあって、それは、親が厳しいので、気の強い人ができてしまうことだ。  

 大切なことは、子供として扱うか大人として扱うかではなく、その人が将来ちゃんと自立した大人に成れるか成れないかだと思う。別に、甘やかして育て
てもちゃんと問題を対処できる人間に成れればそれで良いと思う。                                                     
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