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「そこをなんとか」 アジサイ の広場
友葵 あしも 小5

「そこをなんとか」
 

  2001.7.10
 

 日本人のノーは、けっして絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエスは、その中にノーの要素をあわせ持っている。日本の絵画の特色に「
余白」の美というのがある。「余白」の美とは、「甘え」の美、ともいえるわけで、作者は残りの空間を相手にゆだね、鑑賞者はそこを勝手に想像すること で、作品を完成させるのだ。  

 「そこをなんとか」という言葉を、私は聞いた事がある。「そこをなんとか」と言われても、
 

 「意味がわからない」
 

 と、思うことはない。ただ、
 

 「『そこをなんとか』って何?それってどういう意味?」
 

 と聞かれると、
 

 「『そこをなんとか』って何だろう?」
 

 と思ってしまう。この長文を読むまで私は、こんなこと考えもしなかった。ほとんどの日本人は、「そこをなんとか」という言葉を知っているだろう。日
本人はあいまいな言葉でも、心が通じるんじゃないか。例えば、私が友達に、  

 「あれ、取って。」 と言ったとする。友達は 「はい。」
 

 と、『あれ』を渡す。『あれ』とは何なのか。わからないのに、友達にはわかる。そういうことが、あいまいな言葉でも、心が通じるということだと思う
。説明しなくても、心が通じるということは、日本人のいいところである。 日本の絵画の特質の「余白」の美。これも口で、 『この絵は余白が美しいん です。』  

 と言わなくても、見たら、 「余白が美しいな」 と、わかる。
 

 イスラムの芸術は、日本の芸術とは全く正反対だが、それなりの美しさがある。この違いを私は、 「こういう違いは国の性格だ。」 と、考える。
 

 私は、どっちかというと、イスラム派だ。(日本人のくせに…(笑)) 国の性格を大切にしていきたいなっ!! 
                             
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