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あいまいな言葉 アジサイ の広場
有貴 いおし 小5

「そこをなんとかという言い方はきはめてあいまいである。」この言葉はもっともだ。この言葉は自分が良い方向になってほしいという気持ちから出来てい
る。具体的に(もう一度考え直してくださいなど)説明せづにとにかくなんとかなればいいという言葉なのだ。  

 だがこの言葉は外国で訳して言っても通用しない。何故かというと外国はイエス・ノー
 

 で答えるからだ。そこでノーといわれたらイエスになる余地は無い。外国のノーは絶対だめということだからだ。
 

 「日本人のノーはけっして絶対的な否定ではなくその一部にイエスを含み、イエスは、その中にノーの要素をあわせ持っている。」この文から日本人は他
の国の外国人と違い否定したら否定ばかりではない事がわかる。もしかすると日本人はある意味外国人よりやさしいのかもしれない。僕にこんな経験がある  

 僕が友達の中井君と初めて遊んだ時に「今日遊ぼう。」と言った。すると中井君は「今日はちょっと塾があるから無理やねん。」と言った。だけど僕が
 

 「初めて遊ぶんやしいいやん。お願い!。」
 

 と言うと中井君が「まあいいよ」といってくれた。今思うとあれが外国人だったらノーのままになっていたと思う。やはり日本人はノーの中にイエスの要
素を含んでいるのだ。  

 「日本の絵画の特質に「余白」の美というのがある。」これはイスラムと全く逆だ。前に「絵画の世界」という所で、本当に「余白」の美と思える絵を見
た。それは大きな紙に黒い色で丸が書いてあるだけの絵だ。とても単純だがとても落ち着いて回りを思わず創造してしまった。やっぱり日本の絵画だなと思 った。  

 日本はとても「余白」や「空白」を好む。
 

 それは自由を求めている行為だ。それは日本の個人差みたいなものなのかもしれない。
                                       
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