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ズバリ!違う イチゴ の広場
穂香 すよ 小5

「そこをなんとか」という言い方はきわめてあいまいである。だから、日本人のノーは、けってして絶対的な否定ではなく、その一部にイエスを含み、イエ
スは、その中にノーの要素をあわせもっている。日本人は、決めつけを好まず、いつも融通無碍な可能性を残しておこう、とつとめるからだ。  

 私は、日本人はある意味で、自分の意見がない人間みたいだ。
 

 私がこの話を読んで1番合ってると思ったところは、日本人は、イエスの中にノーを含むと言うところだ。
 

 日本人は、あいまいなところがあるからあいまいな言葉が生まれてくるのだと思う。文にも出てきたとおり「そこをなんとか」や・「どっちでもいいよ」
などはあいまいだ。しかし、私たち日本人は、それを平気で使っている。  

 だから私も、あいまいだということだ。
 

 イエス・ノーのことで似た話がある。それは、友達におにごっこする?と聞かれたとき、あまりしたくはなかったけれど「しよう」と言った。だが、した
後は楽しかったのでそれでいい!  

 日本人のノーという言葉はまるで、ミノガの幼虫のころのようにからにこもっているようだ。外国人は、もうはねをはばたかせている成虫だ。
 

 悪い言い方をすれば外国人は、ずばり!と自分の意見を言うきつい性格である。日本人の性格をいい言い方にすれば、相手を思いやる気持ちで優しい感じ
だ。  

 けれど、これは悪い言い方・いい言い方にしただけなので、日本人ばかりいいとは言っていない。それは、何かを言うときは外国人の性格のほうがズバリ
!といえていいと思う。  

 私がこの話を読んでわかったことは、外国とはこの性格までもが違うと分かった。きりっ!とした外国人とおっとり#とした日本人。これはこれでいいと
思った。けれど、いつまでも「え~っと・う~んと」とあいまいなへんじをしていると、それをやっている日本人ですらイライラしてくる。だから、言うと きは言う。言わないなら言わない。とした方がいいと思った。もう1つ見習わなければいけないところができてしまった日本人。                                        
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