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われわれのからだは アジサイの広場
あおき高3

 時が刻々と移ってゆくのと同じように、人もまた日々変化する。その中に大人になるにつれ、向上している自分が確実に存在する。
 

 私の学校は江ノ島にあるため、毎朝早起きをしなければならない。最寄駅、七時発車の電車に乗るのが小学校からの日課であった。しかし、中学に入学し寝
坊をした時、一本電車に乗り遅れてしまった。だが、それは遅刻にはならなかった。すると、いつしかその電車に乗るのが日課になった。そしてまた暫く日を過ごすうちに、江ノ島駅から学校まで走ればもう一本遅らせても間に合うのだと知った。 

 人は初めてすることには十分過ぎる程慎重に行う。私もそうであった。小学校一年生の頃の学校までの道のりは道ではなかった。ドキドキやワクワクを凝
縮した、不思議な世界そのものであった。しかし、毎日同じ道を通い、一旦道としての回路が頭の中に成立すると、それは平凡な道でしかなくなった。私はこうして小学校の頃と比べて二本遅い電車に乗るようになった。今では支度にもなれ、七時過ぎに起きている。そんなある日、私はいつものように学校への道のりを急いでいた。坂の途中で予鈴が聞え、慌ててペースをあげたその瞬間、私は凄い勢いで転んだ。……何が起こったのか分からなかった。道路にうつ伏せになった私は、慣れた道とはこんなに冷たかったものかと全身で感じさせられ、そしてそれは酷く裏切られたような気がした。 

 人は傲慢である。初めは一つづつこなしていこうするが、作者の言うような網目が繋がった時から、それは惰性となる。そして、子供の頃に比べると確実
に向上している我々は、その自惚れからか、自分でなんでも出来るように感じるようになり、堕落し、事故をさえ引き起こすのだ。人間は飽和状態を嫌うが、かならず飽和状態は存在する。落とし穴はそこにある。普段とは違う恐怖が、普段の生活の中でそっと顔を覗かせているのだ。我々はひとつづつ物事をこなしていくにつれ、更に傲慢になってゆく。だからこそ、ありきたりではあるが、初心を忘れずに事にあたらなければならないのかもしれない。 

 
 

 PS(゚皿゚)だぁっ~!!! (ノ_・。) ふぅ・・・。
 

 微妙に・・・・。
 

 というか、ここに書いていいのだろうか??
 

 まぁいいや。ってことで、とりあえず一つ目送ります。
                     
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