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人との交流 アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高2

 現代の社会問題の一つとして、よく「心」を取り上げる。そして大抵それは「物」と対比して問われる。だがしかし物だけでは心は語れず、かならず人と
のふれあいのなかに問われるべき問題である。ではこの問題、つまり人々の心もしくは精神の疲弊と荒廃、の原因とは一体なんであるか。  

 
 

 第一に、よく言われるように20世紀の世界は大量生産、大量消費の時代であり物質的な豊かさばかりを追い求めてきたということが挙げられる。それは
つまり人間に対する評価を、その人が持っている車や家や家具、そして金といった物的財産によって下してきたといえる。また、そうした傾向は貧しい人が 多い状況下ほど強く現れるだろう。そしてそうした状況下においてはそのことは問題にならないが、誰もが裕福になりそうした判断基準がもはや価値を失っ た時、はじめて他の問題に目が向くのである。何かを得ることは何かを失うことである、つまりある選択をすれば同時にたの選択肢を捨てることになる(取 捨選択)。ということは完璧な理想状態など存在しないのだろうか。しかしそれでも新たな問題意識が生まれたからには最善を目指して努力していくべきだ と思う。  

 
 

 第二に、これもまたよく言われることだが、20世紀は個人主義、自由平等主義という考えが広まった時代でもある。このことは大きな要因だ。つまり個
であることを守るためにプライベートなことを秘する、他人との接触を避けるといった行動をとる人が増えたのだ。必要以上に人とかかわりをもたないし、 かかわるということに対して煩わしさを感じるようになった。僕は隣に住んでいる人のことすら全く知らないし、ましてや毎日路上で出会う数多くの人たち など意識すらない。心は人とのかかわりのなかで育つものであり人間関係の希薄な者は精神的に未熟なままであるはずだ。だから少なくとも知り合うきっか けが出来たらその人との交流を大事にすることからはじめるべきだ。  

 
 

 登校拒否、自閉症といった人が増えていることからも、この問題はは間違いなく社会問題として捕らえうる。そしてこのような原因から、この問題を解決
するには対人関係の活性化を促すしかないといえる。とはいえこれは個人個人の認識によることなので、「ローマは一日にして成る」ことはないので努力あ るのみである。たとえ人と関わるのがいやでも強引にかかわるという心構えが必要である。  

 
                                           
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