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主観と客観 アジサイ の広場
正博 いえわ 高3

 幼いころ、私はよく親に不思議に思ったことを聞いていた。親は私にわかるように苦労しながら、適当に説明をしてくれた。両親は科学者であった。
 

 少し成長して、少し知恵もついてくると、不思議に思ったことに対して自分なりに解釈をして勝手に納得すると言ったことを繰り返した。後で親や先生や
友達に笑われたりしたが、私は科学者の端くれであった。自分の主観をはさむということを思い切りやっていた。  

 しかし科学というのも、身の周りの事象に興味を持ち、自分なりの主観による説明をつけ、それが破綻すると、また別の説明を持ってくるといったような
ところから始まったのだと思う。ひょっとすると、今学校で教えていることもそのうち破綻して、新しい教科書を大急ぎで作り直すということになるかもし れない。  

 もともと学問は、知的欲求を満たすものであるのだから、客観主義だのといわれてもよくわからない。主観的に物事を考えたほうが楽しいというのは、幼
いころの体験を思い出してみればわかると思う。学問を楽しむことができれば、さらに深いところまで掘り下げてみようという、意欲や目標もできてくるの だと思う。  

 主観をさしはさまず客観的に物事を述べる科学者と言うのは、やはり格好いいものだが、どうも、上に書いたような考えをもつ私にはまねできそうにない
 

 私のように冷静さに欠ける人間は、これからも、枯れススキや枯れ尾花が幽霊に見えたり、鼻息でティッシュペーパーがそよいでいるのを見て、超能力だ
と思い込んだりして、恥をかきつつ生きていくのだろう(笑)。  

 ・・・どうしたものだろうか。
 

 
                                           
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