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~心~  ふれあい アジサイ の広場
あおき 高3 いつもと同じ光景なのに何処か覚めた自分がいる。いつもは私の台詞なのに、今日に限ってB子が言い、それを馬鹿らしく思う。そんな事が時々ある。誰し も、この様な経験はあるのではないだろうか?普段物事を考えている自分とは別に、客観的に物事を見ている自分が・・・・・・・。  

 我々は一人になるのを怖れる傾向がある。もちろん、一人が好きと言っている人もいるが、実際一人で生きてはいけない。実際一人になると、自分の中に
問いかけ、それに答えるという単調な動作しか出来なくなる為、不安になるのだ。自分のことを考える機会が増え、精神的孤独に追いやられる気がするのか もしれない。そんな孤独の時、客観的に見ることが出来るのだ。  

 私は、客観的にみているこの時の状態と、普段の自分が合わさったものが心であると思う。様々な状況においての精神の総合が心であると考えるのだ。そ
して、心は当然人の内部にある。だが、その時々によってある場所が異なるのではないだろうか。例えば子供が母親に頭を撫でられたとする。すると、今ま でになかった温かさが突然触れられた場所に生じ、それが心となる。又、花をみて美しいと感じた時に芽生えた情緒こそ人の心なのだ。  

 我々は生きている限りは精神を養いたい。そのためには様々なことを感じ、試みるであろう。しかし、現実には自分と知っている人の中だけで自分の環境
が構成されつつある。そのため、周りの関係ないものは他人であり、どうでもよいものとなってしまう。それが、心の在り方を惑わせる。様々な心が行き交 い、自分の心さえ見えない世の中でふとした拍子に自分の心を垣間見るかもしれない。しかし、それに気づかず生きていることの方が多いのである。  

 
                                                 
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