先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
煌く人 イチゴ の広場
潤之介 かな 中2

 「私」のふしぎを忘れたましいのことを忘れて生きている人に、その「ふしぎ」をわからせる点で、児童文学は特に優れていると思う。確かに「大人」と
して生きるのも、大変なことだ。しかし「いったいそれがナンボのことよ」と「魂」は言う。その声をよく聴く耳や「魂」の現実を見る目は子どもの方が持 っている。「魂」などほんとうにあるのかはわからない。しかし、それがあると思ってみると、途方もなく恐ろしくなったり、面白くなったり、人生を何倍 か豊かに味わえるのは事実である。もちろん、よいことばかりではなく、下手をすると普通の人生を維持できなくなるという危険もあることは知っておかね ばならない。  

 確かに本などを読んだりして自分の存在価値を高めようとするのは良いことだと思う。本の主人公はその本の中にいなくてはならない重要な人物であるし
、本の中に主人公がいなければ「話」にならない。そんな主人公と自分を照らし合わせて考えることで(つまり自分が生涯という物語の主人公だと考えること で)、自分の存在を他の誰でもない唯一無二のものとして己の中で固定できる。これは本に限ったことではない。映画でもテレビでもラジオでも芝居でもなん でも、自分が「私はこの人のように生きたい。」と、感じる人物がいるのであれば、それは自分にとって意味のあることだったということだ。だがこういう 事を考えなくても、人間は気が弱いためか、知らない間に物語の人物を自分として考えている事が多い。「己」以外に、精神的に確かなより所が欲しいのだ 。それは私も例外ではない。本を読むとだいたい主人公を自分として考えてしまう。だが、漫画「バガボンド」に出てくる沢庵和尚は、お通という女のこと を考えて悶々としている武蔵に向かってこう言う。「全部ひっくるめてお前なんだ。認めてしまえ、ありのままの自分の姿を。」と、これを聞くと私は少し 気が楽になる。「自分も悪くないかも」と、思える。  

 自分を世界でたった一人の主人公として考えるのはいいことだ。しかしそれが、「天上天下唯我独尊」のような、独裁的思考の単なる自己満足になっては
いけない。例えば学校で、悪い成績をとったときに「私は天才だからいいんだ」などと自惚れていると進歩が無い。時には冷静に、自分の今の位置を確認す ることが大切になってくる。つまり「私はこんな奴ですよ」と自覚することである。この「今の自分を自覚する大切さ」は、物語にも当てはまると思う。一 寸法師などは、3cmという一見不利にしか思えないものをしっかり自覚し、それを利点に変えて鬼を倒した。このように、自分の不利な点から目をそらさな いで、それをしっかり受け止めることも時には大事になってくる。私も去年の三学期、音楽で2をとって人前で歌を歌うのは苦手という自分の欠点を見つけ ることができた。  

 このように考えてみると、自分をこの世界でかけがえのないものと考えるのも、自分の欠点を自覚するのも、どちらも大切だと思う。しかし、一番大切な
のは、本などにたよらず、自分をかけがえのないものだと感じられる実力ではないだろうか。  

 
 

 
                                               
ホームページ