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あいでぃんてぃてぃい アジサイ の広場
まっちゃん あさも 高1

 今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。順序から言うならば、常設の店が出来る前は商売はみんな路上で行なわれてい
た。道は人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話やものの売買や時には喧嘩のための公共スペースだった。しかし、大きな町で見知らぬ者から ものを買うと、万一、それがインチキな品でも苦情を持ち込む先がない。今でも訪問販売や通販の類にはこの種の問題が付きまとっている。しかし、日本の ように万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は賑わっているし信頼もされている。私は人同士のふれあいがもっとあってもいいと 思う。  

 路上の商売では、「いくらですかー?」「3000円だよー」「えー高いっ1500円にして~」「ん~じゃぁ2000円で」といったような会話が多々交わされる。
それによって、ショップなどでは3000円くらいするものが安く買えたり、店員のお兄さんお姉さんと小粋な会話が交わせたりする。人との会話によって人は また大きくなれるものである。  

 確かに路上で売っている指輪などを買うと、「18金だよ」とかいいつつも金めっきだったりするだろう。しかし、人とのコミュニケーションはヒトとし
てなくてはならないものである。お店で無言でピッなどというのはまだいい方で、インターネットショッピングや通信販売などは、人に接せずに買い物が出 来てしまう。そのうち、誰とも関らずに全てが事足りてしまう時代が来るだろう。マンションの隣に住んでいる人を知らないなど、信じられない。「一人の 敵も作らない者は、一人の友も持たない」というが、「友も要らないし敵なんかもってのほか」という人が増えているだろう。人とふれあい、大きくなる。 人は所詮、群れで過ごす人間なのだ。自分が自分であるためにも。  

 
                                                   
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