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見る人と見られる人 イチゴ の広場
GO うみ 高1

 大相撲を見に行くと、取り組み中でも観客席がざわざわしていて、酒やビールを飲みながら声をひそめることも無くおしゃべりをし、全然緊張感が無い。
まさに「食べながら見る、見ながらしゃべる」という感じだ。それに比べ、クラシックなどのコンサートなどでは観客は静かにしている。なぜこの様な違いが あるのだろう。それは、演ずる者、演奏する者と見る者、聴く者、つまりは、見られるものと見るものとを空間的に分離するかしないかである。  

 十八世紀の演奏会は極端な言い方をすると「音楽のあるパーティー」といった趣の社交の場だったようで、客のおしゃべりがうるさくて、声楽曲を聴く場
合は歌詞を印刷したプログラムが配られることもあったようだ。  

 これとはまた少し違うが、今、若者に人気な「GLAY」や「L’Arc~en~Ciel」のライブは、観客と演奏する側が同じ様に楽しんでいる。静
かに聴くのではなく、わいわいがやがやと騒がしい方がかえって演奏する側も観客も盛り上がるのである。聴く側と演奏する側、この両方がライブを通して 交流があるのはとても良いことである。そして、それは今この世の中で求められていることである。  

 それとは反対に、コンサートや劇場で静かに見たり聞いたりすることも、今求められていることである。開演にあたってまず客席の証明が落とされるのは
、見る者と見られる者、演奏する者と聞く者とを空間的に分離するためである。分離することによって、演奏家や俳優は「見る人でなく見られるばかりの人 」になり観客は「見られる人でなく見るだけの人」になるのである。静かに演奏を聞くことが良い音楽を聴くことだけではない。だけれども静かに聞くこと にはきっと意味があるのである。  

 日本人はわいわい騒いで聞くことの方が好きなようである。しかし、どちらも今の私たちには大切なのだ。これからは、どちらも楽しむようにするのが一
番である。  

 
                                               
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