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でる杭は打たれない アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2

 社会は個人から成り立つものとされ、それぞれの個人は、社会の構成、運営、将来について責任をもつものとして意識し、行動していることになっている
が、日本人の多くは、社会を構成する個人としてよりも、世間の中にいる、一人の人間として行動している部分の方が多いのである。日本の中の人間関係は 、みなそこに属する個人として機能している部分が大きいのである。個々人はそれら世間と自分との関係を深く考えず、自覚しないようにして暮らしている のである。しかしこれから、国際化と叫ばれ国境もなくなろうとしている現在、私達日本人は、今までの共同体国家から国際基準に変わっていくべきである  

 国際基準にするメリットの一つとして、どの人にも平等であるからだ。大きな社会が定めた事により、様々な立場のひとにも公平である。人は、どのよう
なときも感情を伴いながら行動する。しかしその人の感情は、時にはメリットともデメリットとも働くのである。私のはいっている高校の弓道部でも、時に 差別的閉鎖性が出ることがある。弓道は紀元前からあり、偉大な歴史が今までに積み重ねられてきているために、様々な問題が生じても、正しい正しくない と言う前に「今まで」と言うものが尊重されることが多い。いつもお世話になっているということで自分より目上の人が言ったことはどんな場合にも従わな くてはいけない。理由を聞くことは許されない。どんなに偉大な人でも過ちをし、時には勘違いもするのになぜ全てに従わなくてはいけないのかと思う。し かし私は、目上に人に反論をしたりはしない。何故なら、弓道という武道の中で、反論をしようものなら、次から私は、礼を重んじない人ということになっ てしまうからである。最初にも述べたように人は過ちもし勘違いもするのであるのだから、似たものどうしの仲間どうしで生活しては、客観的に物事を見ら れなくなってしまうのである。このような事もあるため、様々な立場から考えられた国際基準に合わせるべきである。  

 メリットの二つ目として、個々がしっかりとしていくことである。共同体社会では、お互いがかばいかばわれを繰り返しているために、いごごちのよいぬ
るま湯につかっていることになってしまうために、まったく進歩しなくなってしまうのである。社会の中でもトラストと呼ばれる独占的企業合併が行われて おり、私達消費者は、その中で過ごさなくてはならないため、本当に必要としているものでもそれを得られなくなってしまうのである。日本では、新聞の休 刊日や美容院の定休日などが全て統一されている。これは、私たちが望んでいたのではなく、経営側が望んでいたのである。このように社会の中では、自分 たちの利益になることしかしないことがあるが、これは社会としてみたのではなく世間としてみたことになり、社会としては進歩していないのである。  

 共同体社会の中では、たしかにいごごちがよく、自分たち身内の中で信頼関係がうまれることもあるかもしれないが、これから様々な人種民族が共存して
いく中で、個々をしっかりしすべての人に平等であるために、国際基準を必要としているのである。でる杭は打たれてはならない。出る杭があるからこそ人 は進歩しすべての人にとって公平な社会へのヒントがうまれてくるのである。  

 
                                                 
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