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ぐしゃぐしゃの所 アジサイ の広場
潤之介 かな 中1

 産業革命以来、機械は人びとの生活を豊かにするものだと思われて来た。その信仰がまちがいでなかったことは、人類がついに月に到達することによって
証明されたかのように見えた。だがいまやその行きすぎがいろいろな面で見直されようとしている。それを補うための最も有効な方法の一つとしてあげられ るのは、生物学的な発想であろう。いま都市空間の例をあげよう。ブラジリアは二一世紀の夢の都市としてつくられたはずであった。だが実際にできあがっ てみると、かんじんの人間がなかなか住みつかない。その理由を調べてみるといわゆる街角がなかったためだという。あるがままの人間臭さのよどみ、とい ったものが欠けていたのが原因だったというのである。  

 私は、ぐしゃぐしゃで自然のままの方がいいと思う。その理由は第一に、ぐしゃぐしゃの状態だと落ち着くからである。これは自然の本能と言ってもいい
かもしれない。ハムスターが巣箱の中で、餌とか、糞とか、ティッシュとかと一緒にぐしゃぐしゃになって幸せそうに寝ているということがあるだろう。こ のように一見ぐしゃぐしゃに見えても、本人がそれで居心地が一番いいのだったら、かまわないと思う。逆に、あれも汚いこれも汚いといってどんどん片づ けてしまっても、ある場所がしょっちゅう変わるから、使いにくいし、物がなくなる原因にもなる。だから私はほとんど毎日片づけて、いつもきれい。とい う状態よりか、使うものはすぐ取れるような場所に置いといて、たまにばーっと掃除するのがいいと思う。  

 第二の理由は、ぐしゃぐしゃで自然のままの状態でないと落ちつかないからである。最初にほこりが一つも落ちてない部屋を見ると、「おお、きれいでい
いなあ。」と思うが、ずっとその状態の中で暮らしていると、見る風景も決まってしてしまってあきてくる。だが「だからといってきれいな状態を壊すわけ にはいかない。」とか思ってしまい、ストレスがたまってしまう。しかし、いつも部屋がぐしゃぐしゃで机の上などにものが散乱している状態だと、「別に もともと散らかってんだから」とか思って、自分の好きなようにできる。だから私は、ピッシリ全てがおさまっているという部屋よりか、ぐしゃぐしゃでい ろんなものが散らばっているような部屋の方が落ち着けると思う。  

 確かに、あまり部屋が汚れすぎてると、住むのも嫌になってくる。だが「大事なのは健康らしい外見ではなく、健康そのものである。」という名言のある
ように、一見きれいに見える外見は、そこに住んでいる人のことを考えたことなのだろうか。  

 
                                                 
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