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グシャグシャ アジサイ の広場
エガ てせ 中1 産業革命以来、機械は人びとの生活を豊かにする打出の小槌の役目を果たすものだと思われて来た。その信仰がまちがいでなかったことは、人類がついに月 に到達することによって証明されたかのように見えた。まさに科学の勝利を確認する成果だったわけである。そうした背景に立ったとき、なによりも頼りに なる確かなよりどころは、工学的なものの考え方であったし、またそう信ずるのが当然のなりゆきでもあった。だがいまやその行きすぎがいろいろな面で見 直されようとしている。それを補うための最も有効な方法の一つとしてあげられるのは、生物学的な発想であろう。「二〇世紀は機械文明の時代であったが 、二一世紀は生物文明の時代になる」というような言葉が使われている。  

 私もそう思う。二十世紀は機械の世紀であった。今使っているパソコンだって、戦争で使われた飛行機だって機械だ。しかし、私は思う。人間に最も済み
やすいのは、自然のままの所だって事を…人間だけではない。犬だって、猫だって、ハムスターだって、この地球上の生物すべては自然のままのところがも っとも住みやすい。だが、なぜ自然のままのように、散らかっている所が住みよいか?その理由は二つある。  

 理由の前に、その前に皆さんもこんな経験はないか?自分の部屋がきれいなときより、自分の部屋が汚いほうが落ち着いたこと、私もこういう経験があっ
た。そう、第一の理由は、部屋が汚いと私が思うに落ち着くからである。皆さんは、ハムスターの部屋を見たことはないか?私は昔ハムスターを飼っていた 。飼い始めは全くハムスターの飼い方が解らず、丁寧にティシュを部屋に入れていたこともあった。その小屋を次の日見たらどうだろう。何とグシャグシャ になっていた。私はとっても住めそうな部屋ではないと部屋を変えた次の日に、すぐ部屋を変えたこともあった。(笑)飼っているハムスターは飼い主に似る のかぁ…んなわけないよナ…  

 第二の理由に、さっきとは逆に、きれいな部屋は落ち着かないからである。、私の部屋も、もっっのスゴォォく、汚れている。これでもか、というくらい
汚れている。というより汚しようが無い。なんたって私の部屋は三畳だからだ。しかしそれでも時たま掃除する。しかし、掃除した後の部屋は落ち着かない 。今まであった場所にあったものが無い。どうしても住みにくい。だが、私の部屋はなぜかしらないが一日で勝手に汚れる。プレステのコードが絡まってい たり食べ物のかすが散らかっていたり、しかし私はそっちのほうが落ち着く。(一番楽なのは掃除しなくてイイコト…)  

 確かにきれいということは良いことだ。しかし、こういう名言がある。「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである。」こういう
名言がある。いくら汚くてもいい。いくらきれいだって役にはたたない。手が届く所に本がある。手が届く所に食べ物がある。その方がきれいなことよりず っとずっと役に立つ。  

 
 

 
                                             
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