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日本に公共の場を イチゴ の広場
啓介 いおり 高1

 「庭」というものは、昔の原始社会では、集団の公共の場であった。
 

 やがて歴史がくだるにつれて、禅宗の影響などもあり、庭園はしだいにしずかにながめるというだけのものにかわってゆきます。室町時代では、ほぼ禅宗
の影響があった 。そのために、運動などの活動的なことが、少なくなっていった。  

 徳川期に、多くの富裕な町人階級がこれを受けつぎました。この風習は、やがて、時代とともに、ついに棟割長屋の庶民階級にまでしみとおってゆきまし
た。  

 「日本庭園」といえば、室町などのしずかに眺めているだけ、野球をするだけなどの庭園などを想像する人が多いことだろう。めいめいが自分だけの庭を
もつ。建物や塀の奥にかくして、外からはかいまみることもできないようにしてしまう。今は、こういう庭園ではなく、アメリカやフランスなどのように日 本にもっと公共の場を増やしていく方が良い。事実いま子供や大人そしてお年寄りなども共有にして使える場が増えてきている。  

 そして、アメリカあたりの典型的な市民住宅が道路に面した前面に庭をもち、そこはプライべートなものであると同時に街路の延長であり、公園的な役割
をはたしているという近代性と、これはまことに対照的です。昔の日本では街道に食べ物ができる木があったのだが、いまでは街道などには、そういう木は うえないようにしている。  

 日本の庭がこういう封建的な伝統をつづけて固定したのにたいして、はやくから近代化した西洋では、一般市民は高層の集団住宅に住み、貴族の豪壮な庭
園を開放して、公園として共同の庭を設備しました。フランスの庭は、かつては宮殿に付属していた典型的なフランス式庭園だったが、今では広大な自然の 中であらゆる層の人たちがそれぞれに楽しく利用しています。  

 我々が考える庭園とは道路の延長でありまるで公共の場のような存在になっている。今では庭園がアクセサリーのようになってきていた。
 

 庭園は、建造物であり、彫刻であり、また音響の遊びもあります。眺めると同時に触れるものであり、自然であり、また反自然でもあるのです。さらにそ
の中にあらゆる芸術を総合して取りいれることができます。絵を置き、彫刻をあしらう。歌い、舞う、可能的な芸術空間です。  

 
 

 
                                       
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