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未来の公園 アジサイ の広場
○○○○ うい 高1

 庭は原始社会では、集団全体の広場であった。日本の庭は歴史が下るにつれて、まったく公共性の無い趣味に閉じこもることによって、庭園の美的な高さ
、きびしさ、純粋さを失い、卑小な芸に堕していった。一方西洋の庭は、生活の延長で、親しい皆の領分であり、ひろがりである。これからの庭は、公共的 でありプライベートで、運動的であり休息的で、しかもきわめて芸術的であるべきだ。  

 私にとっては問題集が公園に近い。それは進路の話などが行われると、そうするとなんだか不安になって帰りがけによく問題集を買ってしまうことがよく
ある。でも買っただけで安心してしまい、二年後にきれいなまま机の中から出てくることがよくある。この間の私の学力が上がることはなかった・・・。公 園にも同じ事が言えるのではないだろうか。使えない公園、介入できない公園は廃れていくだけである。  

 事実そのような庭園に変わって誰もが介入できる公園が増えてきている。テーマパークでは子供だけでなく大人も、お年寄りの方々や障害をもっている方
でも参加できることを目指しているところが多くなった。その最たるものが東京ディズニーランドである。あそこは従来のテーマパークの「子供が楽しめる 」という概念を、「子供も大人も楽しめる」ということで、講評をはくした。  

 確かに当時の非公共的でひどく個人的な庭園もよいが、現代の状況、そしてこれからの展望としては、公共性に重点をおいた公園の再生が必要である。公
園が全ての人間にとっての遊技場、憩いの場になることを望む。  

 
                                                 
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