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「大学の向こうは」を読んで アジサイ の広場
○○○○ あう

 大学時代は、受験時代の10倍は勉強しなくてはならない。現在の学生はどの道を進むにせよ無知の部分が大きい。高校までに物理・化学や生物学では現代に
発見された知識はほとんど教えられていない。従って、とくに理系の学生と異なり20世紀の知識を強引に身に着けさせられることがない文系の学生は、21世 紀の社会にキャッチアップするためには自主的努力を積み重ねなくてはならない。  

 講義中、ある教授が授業に必要なプリントを印刷するため教務課に履修登録をしている人数分のコピーを用意するように依頼したところ、半分だけしか用
意してもらえなかったと不平をいっていた。大半の講義のため使用する教室の収容人数は、履修人数を下回っている。そもそも履修登録を行なっている学生 全員が出席することはありえないと言うのが大学の見解である。その教授は「大学側も君達をその程度に扱っているということをよく頭の中にとどめておく べきだ」と言っていたことを覚えている。  

 日本の大学生は勉強をしないということはしばしば指摘されることである。最近では分数の計算ができない文系の学生などがマスコミでも取り上げられる
ようになってきた。しかし、およそ飯の種にならないようなことをするのは学生の特権であるという見方もできる。事実、サークルや部活動で培った人間関 係やコミュニケーションと取り方、アルバイトによって得た経験などが社会に出てから大いに効果を発揮することは少なくない。むしろ、およそ学問には直 結していないこのような経験の方が社会に出てから役に立つと言っても過言ではなかった。  

 しかし、それは右肩上がりの経済が約束された経済が前提となっている。IT革命により、インターネットで少しでも高品質の製品を安価で提供する企業が
あれば取引先を変更することもこれからふえてくるであろう。また、2001年度から会計ビックバンといわれるように、企業も連結会計によって評価されるよ うになる。以前なら学生時代にサークルや部活で縁のある人間を収益性を目的としていない関連会社に置くことが可能であったが、会社と関係のある会社を まとめて評価されるようになれば、そのようなことも難しくなる。社会は人と人とのつながりによって成り立っているため、学生時代に培った人間関係が完 全に無意味なものになることはないかもしれない。しかし、少なくとも日々変貌する現在にキャッチアップするためには自助努力が必要となる。  

 確かに、およそ飯の種にならないことをやることは学生の特権かもしれない。しかし、技術の進歩の速さは着実に速まっており、企業もそれに合わせた行
動をとらなくてはならなくなっている。そのような文明の中で生活をする我々もその高度な技術に対応できるだけの知識が要求される。したがって、常に社 会の変化にキャッチアップする自助努力が求められるようになるだろう。  

 
                                               
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