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「笑う門には福が来る」を読んで イチゴ の広場
なりあき あそき 小6

 運は日常の生き方の結果である。社会性を欠いた人は「私は運が悪い」という。社会性を欠いた毎日の積み重ねでそうなっていくのだ。困難のない人生な
どない。これが人生の運を考えるときの大前提である。  

 僕は、あまり努力しなくても学校の理科の成績が良かった。僕は、理科は学校でやるだけで、家では宿題以外はほとんど勉強しない。でも、学校だけで勉
強して、家ではほとんど勉強しないという人は、ほかにもいる。でも、家ではほとんど勉強しない他の人とくらべると、成績の差はけっこうある。これは、 たぶん授業の受け方のちがいだろう。僕は、国語や算数は一週間に一回か二回、問題集をやっている。社会は、理科と同じように家ではほとんど勉強してい ない。そのかわり、歴史が好きなので読書をしている。だから、国語、算数、社会も成績がいい。でも、家庭科、音楽、図工は嫌いで苦手だ。努力しろとい われても、嫌いなので全然やる気が出ない。僕は、ピアノを習っているが一日平均10分しかやらないので、なかなか上達しない。でも、運が悪いとは思っ ていない。本当に運が悪いと思っているのは、一番最初に習わせられたことだ。  

 この前の金曜日に、陸上記録会があった。僕は、100mと400mリレーに出場した。100mでは、自己記録を0秒43上回る14秒で、僕の組では
1位だった。400mリレーでは、今までの記録を2秒以上上回る1分2秒2だった。でも、順位は8位だった。ほかにも、それぞれの自己記録を上回る人 が何人かいたが、運が悪いという人も何人かいた。僕の小学校では、100m走で転ぶ人がでた。80mハードルでは、転びはしなかったが、ゴール直前で バランスを崩す人がでた。この二人は練習をサボっていたわけではない。ただ、運が悪かっただけだ。「勝負は時の運」ということわざがあるように、勝つ も負けるもその時の運次第で、終わってしまったことはしようがない。  

 「運はねて待て」ということわざがあるが、「運を待つは死を待つに等し」ということわざもあるので、「まかぬ種は生えぬ」で、なにかをするときは、
努力したほうがいいと思った。                                                    
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