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無駄なんてないのさ! アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2

 噴水とは、役に立たないものであり、「真剣に生活しているものの生活感覚を、さかなでするものであるからこそ噴水は噴水なのである」というのが噴水の
立脚点であり、そのことによって、人々は文化的衝撃を受け、深く困惑するが、そのことが新たな文化を創り出すのであり、噴水はそのためのものである。  

 スポーツ観戦をするということは、無駄なことである。
 

 例えば、野球で考えてみよう。実際に自分の体を使って野球をしたならば、身体に筋肉が付くことによって、足の速さが速くなったり、瞬発力が付いたり
する。それに比べて、野球を観戦する場合は、筋肉も付かないし身体が身軽になるわけでもない。しかし、観戦することによって人々は感動したり、選手と 観客全員が一体感を味わい、そのことの素晴らしさを感じることができる。  

 風鈴も必要のないものである。風鈴は、無用に音を出すだけのものであり、チャイムのかわりに鳴るわけでもなく、危険なことが近づいていることを、知
らせてくれるわけでもない。ただ風に従い音を出すのみなのである。  

 でも、風鈴は昔からあり今もなくならないのは、人々が風鈴の風情に魅了されているからであろう。その音で、人々は、心を落ち着かせたり、心にゆとり
が持てたりするのである。  

 無駄とは、存在しない言葉であり物である。一瞬無駄なものにみえても、その物は私たちの心に大きな影響を与え、その後の私たちの行動を創っていくの
である。どんなものにも、意味があり存在するべきなのである。しかし私たちは、目に見えて、直接的に自分に関係しているものしか必要性を認めなくなる 。そんな時、一般的に「無駄」といわれているものがまた登場し、私たちを救ってくれるのであろう。  

 
                                             
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