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真の集団
イチゴ の広場
太公望 うの 高1
 一つの集団は、一人の裏切者と一人の犠牲者を生み出すことによって完成さ
れる。つまりその時、集団は論理的に構成されるのである。「裏切者」が発明
されるに至って、はじめて人間は、自己完結する対人関係というものを、知り
得たのではないだろうか。
 
 言うまでもなく集団が自己完結を目指すのは、集団が衰弱しはじめている証
拠である。しかし、集団は常に、いつかは衰弱期を迎えるものあり自己完結す
ることを目指すのである。現に今でも「裏切者」と「犠牲者」によって自己完
結を目指しつつある集団をたびたび目にする事ができる。一つの集団を律する
原理は、新的時代からちっとも進歩していないのかもしれないのだ。
 
 今の時代でも昔の時代でも裏切り者と犠牲者の上に集団が自己完結している
といっても良い。例えば、身近な物で考えてみると小学校の時、クラスの中は
仲良しグループという形でいくつかに別れていてグールプ内外でけんかが相次
ぎ裏切りなどが起こっていた。しかし、私のクラスの担任の先生の考え方や教
え方にクラスの大部分が疑問や不満を持っていた。そのためクラスに更に亀裂
が起こると誰かが矛先を先生に向け非難し始めクラスメイトがそれに同調する
という形になってクラスの集団というものを維持しようとしていた。しかし、
表面上はクラスは成り立っているような感じだが中は分裂状態という感じであ
った。結局、完璧な自己完結は無理だった。原因は、同調しないと周りから無
視されるといった、自分の精神面の弱さを露呈した感じである。人間は、敵が
いなくても集団及び個人が活性化していなければならない。では、どうすれば
いいのだろうか。
 
 第一に、個人個人の精神面を強くすることである。今の若者は、周りと同じ
環境、服装でいると安心するといっていた。これも精神面の弱さなのではない
かと私個人として思うところである。精神面を強くするには色々な経験をする
ことである。別の言葉で言うと自分にとってマイナスになる経験である。そう
いう事を経験してその大きな山を越えることによって強くなることができるの
である。そうすることによって相手(裏切り者・犠牲者)を作ることをしなくて
も活性することができるのである。
 
 しかし、個人個人が強くなったところで自分の自己主張をお互いにグループ
内でするだけで認め合うということができなければ真の活性化は望めないとい
っても良い。お互いが認め合うことによってグループ内のわだかまりみたいな
ものがなくなりグループが活性するのである。
 
 今までに真の活性化されたグループを見たことがないのでそのグループが一
生活性化された状態でいるかは分からない。しかし「自国に対する賞賛が他国
に対する軽蔑によって支えらているのであってはならない」という言葉もある
ように決してこのような状況にして集団の自己完結を目指してはならないと思
う。だが今の社会で真の活性化された集団は現れないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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