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ユダになりたもうことなかれ
ウグイス の広場
杉田大岳 うい 高1
 新約聖書の中には裏切り者(ユダ)と犠牲者(キリスト)がいる。そして裏
切り者が発明されたことによって、自己完結する対人関係というものを知り得
た。「裏切る」という行為は相対的で集団は永遠に対象化できない。故に、集
団の内部を律するメカニズムを持続的に緊張させ続けることができる。集団が
自己完結を目指すのは、集団が衰弱し始めている証拠である。そして集団は常
に、いつかは衰弱期を迎えるものであり、自己完結をすることを目指すのだ。
集団を律する原理は、新約時代からちっとも進歩していない。
 
 キリストのいた時代と違い、様々な考えのある現代において、裏切り者を作
り出して集団の活気を取り戻すという方法はナンセンスだと私は思う。裏切り
者を作らず活気のある集団を作るには、集団を形成している個人個人が強くな
らなくてはならない。なぜなら、そもそも裏切り者を作らなくてはならないの
は、集団が衰弱化してくることにあるからだ。もし、個人個人が強ければ、会
社が倒産しそうな時でも、一致団結して盛り返そうと思うだろう。しかし、個
人個人が弱ければ、誰かしら会社に見切りをつけて、ライバル社に自社の秘密
を売って、ユダとなるだろう。
 
 裏切り者を作らないという点では、正確な情報を流すべきだろう。人はしば
しば誤った情報を流し、ユダを作り出す。それは、集団が衰弱化していればし
ているほど起こりやすい。一九二四年、関東に日本の歴史上最大の被害を出し
た震災、関東大震災が起こった。この地獄のような震災時に、朝鮮人が水に毒
を入れたなどのとんでもない誤った情報が流れた。しかし、これによって今ま
で結束が完全に失われた人々に、それが取り戻された。ユダの流したこのよう
な完全に事実とは違う情報によって、集団結束の代わりに尊い命が奪われたの
だ。
 
 現代の社会においても、やむなく裏切り者を作り出さなければならない時も
ある。しかし、全面的にその考えを正当化することはおかしいと思う。関東大
震災の件もそうだが、人の心や命よりも、集団としての自己完結を優先する考
え方は、決して許されることではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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