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法を守れるか?
イチゴ の広場
太公望 うの 高1
 今日では、道徳的共同体をつぶしてきた法的社会が普通の社会となり、国家
となっている。しかし、今日、共同体が完全につぶされたわけではない。依然
として最小単位共同体の家族が残っている。そして一方、共同体意識のほうは
、今も人々の間にしぶとく生き続けてきている。各種共同体が機能したくなっ
てしまった現代では、法的処理の間に挟みこまれる共同体的処理が、逆に不正
なこと、悪であるとされる。法的社会が形成されて以後、共同体との関係とい
うやっかいな問題を人間は抱え込んできて今日に至っており、今尚その解決方
法に苦しんでいる。
 
 今の社会、歯車が狂ってきた気がする。悪者を捕まえる警察が、逆に不祥事
などだ捕まっている状態である。ここで問題なのは、仲間同士の身内意識とか
くまう意識があるということだ。このような事は日本民族の特徴といっても良
いと思う。アメリカと比較してみるとアメリカは個人主義だが日本は集団主義
といった感じである。日本に「みんなでやれば怖くない」という言葉がそれを表
している。そのためいくら法、規則があろうと集団になってしまうとあまりに
も無意味なものになってしまっているのである。国民の代表足るものがそのよ
うな感じでは国民に示しがつかないと思う。法は守るためにあって決して破る
ためにあるのではない。しかし、今では規則などを守ること自体難しくなって
いるのではないかと思う。その原因は、日本人の意識の問題にあると思うのだ
がそれを解決していく方法が見つからないという状態である。とにかく今はみ
んなが一人一人責任を持って法を守っていかなくてはならないと思う。
 
 四月から高校に入ることになるが私の行く高校は、私立でしかも男子校なの
で比較的厳しい校則があるとおもわれる。その校則を守って行く自身は、一応
あるが校則でも必要な校則と不必要な校則があると思う。特に私立はどうでも
いいような校則がいっぱいあると思う。ここで疑問が出てくるのである。なぜ
学校側は、不必要な校則を必要とするのかということである。不必要な校則を
いつまでも押し続けようとするのはおかしなはなしである。そのようなものは
、規則とはいえない。守ってこそはじめて規則というものが成り立つのだと思
う。例えば君が代・国旗法案が、通ったが今の国民はそれに対して納得してい
ない。大多数の人間が君が代に対して反対の意識を持っている。国がほうを強
制しようとするため学校の校長が自殺したりするのである。国民が守れないよ
うなものは法にするべきではないと思う。
 
 日本人は、身内意識を捨てるべきである。つまり共同体意識があるからこそ
法や規則を守れないのである。日本が国際社会で活躍していくには、このよう
な問題をしっかりと対処していかなければならない。小渕首相が、もっと厳し
く改革を行なってくれることを願うと共に自分も共同体意識について考え方を
改めていきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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