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慰霊祭のたびに…
アジサイ の広場
たこ星人 こむ 中2
 慰霊祭の度に官僚たちのあいさつがある。「・・・皆様の尊い犠牲の上に今
の平和があることを決して忘れず・・・」と言う言い回しを何度か聞いたその
たびにそれは違うと思った。早い話が、1944年末二段階で大日本帝国ファ
シスト(軍国主義者)政権が降伏していれば、いろんな人達が死ななかっただ
ろう。同じように、シンガポールで死んだ人達も北京で死んだ人達も、そもそ
も日本軍がこなければ自分たちは…というはずだ。
 
 50年もたって、関係者の多くが死んでしまって、回想録の類も出尽くした
というのに、その程度のシュミレーションを誰もしていない。戦争で死んだの
は若者ばかりだった。高い地位のくせに責任の所在をごまかす卑怯者ばかりが
生き残ったとしたら、いかに慰霊祭を重ねても若い死者たちは浮かばないだろ
う。
 
 だから薄っぺらな政治のことばではなく、戦場で何が起こったかを確定して
いく堅固な言葉によってあの戦争を定義した。
 
 小学校などでケンカがあった時、先生は「どうしてこうなったの?」と何が
起こったかを聞く。そして解決した後で、二人は「雨降って地固まる」ののよ
うに仲良しになってしまう。
 
 そういう解決方法で「戦争をとめる」ことが出来るのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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