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自然に対して謙虚に
イチゴ の広場
達樹 らつ 中3
 人間は,野草や山菜を採集する労苦と非能率を恨んで,採ってきた植物をす
むところの近くにおいて管理しようと試みた。種を播き,みずからの意志によ
って自然を手なずけようとした。しかし,栽培されることに甘んじた植物もあ
ったが,断固としてそれを拒否するものもあった。また人間は,植物を栽培し
ようとするだけでは終わらなかった。品種の「改良」という名のもとに,植物の
姿かたちさえも自分の望む通りに変えてきた。しかし,人間は,自然を手なず
けるどころか,自然の大きな力に翻弄されるばかりである。まだ自然には人間
の知恵を大きく超えたものがある。私達人間は自然に対してもっと謙虚になら
なくてはならない。
 
 私達が自然に対して謙虚になる一つ目の方法として,自然の恐ろしさを知る
ことである。まだ記憶に新しい阪神淡路大震災で,私の祖父母の家が全壊して
しまった。そして,祖父母の家が建てなおるまで私の家に来ていた時,祖父母
は全壊した家の写真を私に見せてくれた。私はその時に自然の恐ろしさを知り
、自然に対して謙虚になった。
 
 自然に対して謙虚になる二つ目の方法として,小さい頃から自然にふれて自
然を知ることである。そうすれば,いま話題の映画ターザンのようになれるか
もしれない。
 
 確かに自然を手なずけようとすることもいいが,自然に対して謙虚になるこ
との方がいいと思う。『雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物の
ことである。』という名言があるように,たかが雑草と言っていてもそのうち
雑草がすごいものになるかもしれない。だから、自然もたかが自然と思わない
方がいい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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