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衰弱したアイデインテイテイの(感)
イチゴの広場
かずとししへ中2
 自分が、誰だかわからなくなる時自分のなかにほんとうに自分だけのもの、
独自のものがあるのかどうか確信が持てなくなるとき、ぼくらはじぶんになじ
みのないものに、ふれることを、すごく怖がる。小学生の時は、親が、自分の
鏡になるが、中学生の時と、高校生の時は、鏡になる人がなく、友達が、鏡に
なる。小学生の時は、親に「〇〇君てえらいのね。」と言う具合にほめてもら
い自分を自覚できる。しかし、中学、高校は、あまり自覚がなく、友達に、言
われて分かるぐあいだ。だが、もう大人になれば、もう誰にけなされてもへい
きになる。
 
 このように、この文は、小さい時は、親が、鏡になる。中学、高校は、友達
。大人は、自分自身と言う事を教えている。そして、ぼくがぼくでありうるた
めには、ぼくは、他の「わたし」の世界のなかにある場所をもたなければなら
ないということだ。それが他者としての自分の存在ということである。