題名 | 山田さんお願いします |
名前 | バービー |
時刻 | 2012-06-08 01:52:52 |
山田様
こんばんは 夜分遅く済みません。 ウェブの方から送れない様なので、 ここに投稿するのでよろしくお願いします。 栗田奈々 能力 お金くらい、変なものはない。なぜなら、本来どうして交換可能かと思われるような対象が、お金を媒介にすれば、平気で交換されてしまうからである。お金の問題とは、私からすれば、典型的な「信号問題」である。お金を現実と思っている人は、そうは思わないかもしれないが、それは、自分の手元、つまりお金の動きの末端だけに注目するからである。お金の動きそのものが脳の中の信号の動きによく似ているので、たかがお金の動きに関する議論が、ときどき哲学や神学の議論に近くなるのであろう。私は現実感を見失わずに生きていきたい。<<主題>> そのための方法は第一に、<<構成>>具体的能力を増やしていくことである。私<<題材>>は家庭科の『清潔さ、衛生さ』についてテストをやって、見事に25点中24点という惜しい結果になった。しかし、実際にこれを自分の生活習慣に当てはめたことはないだろう。なぜなら、私は料理なんて全然しないし、帰って来ても何も食べないから手を洗ったりすることもない。このように、知識だけあっても、それを実際に実行出来なければ意味がない。他にも例えば学校で習った歴史的な事も、ちゃんとテストの時に自分の知っている知識を全部書いたりして先生に見せつけないと、点数が取れないというのが私の学校にある傾向だ。このように、自分の知識をちゃんと日常生活や、必要な時に発揮出来なければやっていたり、持っていたりする意味がすべてなくなってしまう。私はバスケ部に入っているが、バスケの練習で習ったスキルを試合の時にちゃんと発揮しないと、練習をした意味がすべてなくなってしまう。それに、バスケはチームワークがすべてなので、一致団結してスキルを発揮しないと、すべての練習の努力が水の泡となってしまう。そのため、具体的能力を増やしていく事は大切なのだ。 また第二の方法としては、<<構成>>時代の価値観が変わっても通用するような能力を身につけていくことだ。今この時点で日本はとても無駄な教育方針をしていると思う。なぜなら、まだ日本式な教育を貫き通しているからだ。もちろん、伝統だったり歴史的にこのように教育するのが普通かもしれない。しかし、本当にこれが将来の価値に繋がれるのか。本当に何十年も同じ様な教育方針でいいのか。もしこれを日本がこれからも続ける予定ならば、日本は将来落ちこぼれになり、先進国の一つには入らないかもしれない(苦笑)<<表現>>今私の学校は私たちの将来、そして私たちが将来築き上げる未来のために全力でサポートしてくれている。EBTCという(Environmental Be The Change)という科目があり、この科目ではグローバル化について話したり、世界の大きな問題について話したり、どのようにして地球の環境を変えたり出来るか、フェアトレードとは何か、など色々とても勉強になり、将来の役に立ちそうな事を教えてくれる。この前習ったのが、世界的に有名なコーヒーとキットカットの会社、『Néstlé』がフェアトレードをしていないという事だ。『Cadbury』という会社のチョコレートは、フェアトレードでちゃんと法律を守っている事業をしている。しかし、Néstléは法律違反をしている事業をしている。『Child trafficking』という、いわゆる児童売買(児童奴隷)を使い、小さい子供にココアの実を集めるように指示している。そして、一番私が驚いたのは、ココアの実を集めることだけしか情報が入っていないのだ。その後にどのようなプロセスでココアの実が使われるのかは何も言われてない。彼らは、そのビデオを撮っていた人から初めてキットカットのおいしいチョコになることを知った。このように、アフリカにいるような家族は、子供を奴隷としてしかたなく売り、(お金がないから、子供を売る事によって少しでもお金をもうけるために行う、あるいは売る事によって、その奴隷のオーナーが子供たちによい教育を与えてくれると誤解しているから)その子供たちは教育を受けないまま一生働く事になる。このように、今世界の状況を深く知れる様な科目になっている。しかし、日本はこのような科目はない。それに、最近の子供たちはニュースを見ないため、きっと世界の状況が分からないだろう。このように、今私のような教育は将来すごく高い価値がある。 確かに、社会の要請に応じて使える頭を持っておくことも必要だ。しかし『辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間に。』<<表現>>という名言もあるように、現実感を持ち、生きる力をしっかり持った生き方をしていきたい。<<主題>> |