テレビ局でドラマをつくるディレクターが、以前に、「忘れられた名文たち」という本を出したことがあります。本を出した動機を、筆者は、おおむね、こう言っています。
<私たち一般人は、名文家ではない。しかし、ごく平凡な日本人、たとえばサラリーマンや商店主、主婦やOLの文章を書く能力は、決してばかにならない立派なものだと思う。どんな文章が名文であるかを、よく知っている。その知識をいったいどこで学んだのか。その能力がどこから来たのか、と言えば、大文豪や文学全集に収められている大作品がお手本なのではない>と、言うのですね。そうして、
<日常読む新聞・雑誌の記事、ごく大衆的な小説、そしてひとからげに「雑文」と呼ばれるものによって養われたものではないか、というのが(筆者の)持論である>と言うのですね。そうして、
<日常目にふれる「雑文」と呼ばれるものを読んでいるうちに、自然と身に付いたものに違いない。この雑文が、日本人の文章力を支えている。かくいう私(テレビ・ディレクター)が、なんとか文章らしきものを綴られるのも、まったくそのおかげだが、それにしても、この「雑文」の評価が低すぎる。こうした「日本の名文」は、かえりみられることなく消え去る運命にある。どんどん忘れ去られていく、読み返そうにも本がない>
だから、そういう雑文(名文)を集めた本を出したのだ、と言うのですね。
この本は、いま、文春文庫に入っていますが、中学生、高校生、大学生のみなさんは、ぜひ、家で取っている新聞の、どこか気に入ったところを、毎日、なるべく読むようにしてください。立花隆という、東大で授業を持ったことのある評論家に言わせると、日本の大学生の7、8割は新聞を読まない、と言うのですね。その結果、日本人は、この情報化時代に、国際的な孤児になってしまう、と言うのですね。少し、飛躍がありそうですが、大学生は新聞を読まず、代わりにテレビを見ることで済ます、テレビは(NHKを除いて)国際ニュースをほとんど取り上げない、だから国際ニュースに疎くなる、と、こういうわけですね。
これは、いま、大学生の授業を週3回もつ、わたくしの実感とも一致することです。
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枝 6 / 節 14 / ID 7319 作者コード:kamono
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