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        おごれる者久しからず
アジサイの広場
小林ねき中1
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 「あなたが昨日見た動物は?」 唐突にこう聞かれたらどう答える? 私だっ
たら、「鳥類と虫類」と答える。皆さんも、大体そんな感じだろう。少なくとも
、「いのしし」とか「かに」とか「ティラノサウルス」(あっ、絶滅してるんだっ
た。)と答えるのは、昨日動物園か田舎の山で迷った人ぐらいだ。それだけ、
鳥や虫はポピュラ-なのである。ただ、鳥も虫も、テレビで見ているうちは「
ああ、かわいいなぁ」とか、「感動だぁぁぁ」ですむ。しかし、実際に近い関係
になると、「鳩はふん落とすし、烏はゴミをあさる。もう嫌じゃぁぁぁ」という
ことになる。それはなぜなのか?
 
 一つは、自分が被害を受けたからである。鳩の行動によって自分の損害にな
ると、「畜生鳩め、この俺をなめやがって」と言いながら、矢を射って、晩飯に
してしまうだろう。人間は、それだけ自分勝手なのである。自分に嫌なことが
あったら、全てその者のせいにして、罰を与える。当の自分は、その罰は必然
だとして、自分が悪いとは少しも思わない。もしかしたら、鳩はいつもそこで
排泄をしていて、たまたまその場所にその人がBingoしたのかもしれない
。また、烏がゴミをあされば、人間は烏を追い払う。この時も、前者と同じ気
持ちで追い払う。しかし、人間がそこまで勝手に開発を進めてしまって、コン
クリートのしたに餌のミミズを埋められたから、しょうがなくゴミをあさって
いるのかもしれない。こちら側の責任を考えずに、一方的にあちら側が悪い、
と決めつけるのは、いささか矛盾しているようにも感じる。
 
 このように、人間はどうしても自分中心に考えてしまう。昔、天文学界にこ
の人ありというほどの天文学者でさえ、地球が中心で他の星がまわっている、
という考えの「天動説」が当たり前だと考えていた。また、何かの宗教の教えで
も、「家畜は、人間に食われるために生まれる」という、家畜の尊厳もくそも
なことまでいっていた。
 
 じつは、これまで述べてきたようなことは人間の間にもある。例えば、日本
人がテレビでインド人を見ている分には、「変わっているな」とか、「大変だな」
などしか思わないが、実際にもっと近い関係を持つと、「インド人はカレーば
っか食っていて嫌だ」とか、逆に「日本人はわがままで根性がないから嫌いだ」
という風になってしまう。そして、両者が対立しあって戦争になる、というこ
ともある。
 
 このようなことを更に詳しく知るために、温故知新の信念に基づき、童話「
北風と太陽」を考えてみよう。ここまで述べてきたことは、全て北風にあたる
。邪魔なものは力でねじ伏せるという考え方である。では、それに対して太陽
の考え方とはなんなのか? これは、いわゆる「話せば分かる」的な考え方であ
る。何があっても力でねじ伏せず、お互いの理解を深めよう、という考えであ
る。これの方が時間こそかかるが、一番平和である。しかし、やはり力もある
程度必要である。話し合いでの解決の下で、最初に話を聞いてもらうきっかけ
を作るのが、力なのである。
 
 「おごれる物久しからず」(by平家物語)という言葉のあるように、力だけで
統制し、ふんぞり返っているような世界が長持ちするはずがないのである。力
は、意見を聞いてもらうために使い、決して恐怖統制などしてはならないので
ある。だから、ふんをかけられたからといって、すぐに矢を射るようなことは
せず、少し自分のことを見直して、反省すべき事は反省し、相手が悪いと思っ
たら相手に注意するようにしようではないか。