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人と人との触れ合いを大切に
アジサイの広場
風間こと大2
 映画やアニメで見かけはパッとしないが非凡な科学者がロボットを発明する
話がある。たいてい、その科学者は自分の創り出したロボットに名前を付ける
。私たちの実際の社会でも、この非凡な博士のように『モノ』に名前を付ける
ことが少なくない。あるゲーム会社の受付には女性型ロボットが設置してあり
、そのロボットには女の子の名前が付いている。この『モノに名前をつけると
いう習慣』は他の国には無い日本独特のもので欧米各国からは『アニミズム』
と呼ばれている。『モノ』と私たち人間との接し方によって『モノ』が心ある
もの心無きものにも変わるのだ。
 
 私が小学生の頃アサガオを育てている時期があった。その頃の担任の先生が
『アサガオに名前を付けて毎日その名前を呼びかけて丁寧に育てると良く成長
して長生きするよ』と言ったのを覚えている。その時の私には信じ難かったが
様々な本を読んで行く中に今では、まんざら嘘ではない、と思うようになった
。『モノ』を心あるもの、として接することで人間の心と『モノ』の心が触れ
合う。その交流が人と花を成長させる。だが壷や札など余計なものにまで心が
ある、と考えてしまうのは、いささか問題だが。
 
 子供も奥さんもいない寂しいお爺さんが寂しさを紛らわすために木製の人形
を作った。お爺さんが、その木製の人形に本当の人間の子供のように接するこ
とで、その木製の人形が心を持つようになる、、これは『ピノキオ』の話だ。
『ピノキオ』のような話は非現実の話しだが小さい頃(大人になってもいます
が)誰もが人形に名前を付け可愛がったように『モノ』を人間として接するこ
とで私たちの心を癒してくれることがある。
 
 『心と心が触れ合って初めて人間である』と誰かがいった。だが今日のよう
な煩雑な社会ではお互いの心を癒すような触れ合いを持つことは難しい。その
代わりに『モノ』と触れ合うことが多くなった。今アメリカで一番、売れてい
る商品に機械仕掛けの可愛い動物の玩具がある。その玩具は非常に精密で人間
と触れ合っていくうちに、いろいろな言葉を覚えて会話をするらしい。だが所
詮、玩具は玩具でしかない。『モノ』と『人』の交流ではなく『人』と『人』
の交流ができて初めて社会が機能するのではないか。少年の凶悪事件が多く発
生している原因には『人』と『人』との交流が無いのが原因であろう。<img
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