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被害者という加害者
アジサイの広場
風間こと大2
 最近、大きなカラスを見かけることが多くなった。私の通っている大学にも
大きなカラスが何羽かいる。普段は建物の上の方で様子をうかがっているが学
生が食べ残した残飯を見つけるやいなや猛スピードで急降下して残飯を口にく
わえ、また建物の上の方に戻っていく。その程度なら良かったが最近では学生
が食べ物を持っていようものなら容赦なく襲ってくるようになってしまった。
このような事はカラスに限らずサルや鹿などでも実際に発生している。
 
 これらの動物を『危険な動物』というレッテルを貼って駆除もしくは隔離し
てしまうのが今日の対抗策である。我が家の近所のゴミ捨て場にはゴミを覆う
ネットがある。このネットも、これらの対抗策の一つだ。駆除や隔離は確かに
効果はある。しかし、よく考えてみると昔はサルもカラスも鹿も決して人間に
危害は加えなかった、というよりもむしろ『共存』をしていた。だが私たち人
間が森林を伐採し動物の住処やエサを無くしてしまった結果、私たちの社会に
危害を加えるようになってしまったのだ。このように考えれば私たちは『被害
者』の立場ではなく『加害者』の立場でもある事に気付く。
 
 『桃太郎』の中で桃太郎はサル、キジ、犬と村の食べ物や宝物を奪う鬼を退
治しに鬼ヶ島へ乗り込んで鬼を退治する。『桃太郎』は勧善懲悪の昔話として
昔から好まれて語り継がれている。この話の中で鬼は『加害者』である。桃太
郎は『被害者』の代表として『加害者』である鬼を退治する。これは私の偏見
かもしれないが、この鬼達の住処である鬼ヶ島は私の読んだ絵本ではどれも海
の沖にある岩だらけで緑が無い生活感のない小さな島だ。このような島なのだ
から当然、食べ物など存在しない。鬼は生きるために仕方なく船に乗って村を
襲いに来る、とは考えられないか。このように考えれば鬼は、このような土地
に住まされてしまった『被害者』でもある。村の人たちも鬼も、もっと話し合
いをすれば良かったのだ。
 
 私たち人間は被害をこうむると『正義は私たちにある』と思い込んでしまう
。戦争も、その良い例だろう。だが実際は『被害者』でもあるが少なからずど
こかで『加害者』でもある可能性のあることも忘れてはならない。人間は結果
から物事の善し悪しを判断しがちだが、その結果になってしまった過程を今一
度、認識する必要がある。私の通っている大学は山の上を切り開いて建設した
ものだ。大学が建設される前は、その山はカラス達の住処だったのだ。