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厳しい父親
アジサイの広場
あずさあすな中3
 「物分かりのいい父親」が父の役割を果たせないために、全体的視点のない
利己的な人間や、無気力な人間が増えている。現代では「立派な」人格を持つ
父親が疎まれ、「友達のような」父親が親しまれるが、「友達のような」父親
に育てられた子供は「自由な意志」と「よい意志」を取り違え、我慢すること
を知らずに社会に悪影響を与える。そんな中で本当に必要とされているのは家
族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることが出来る「
立派な」父親なのである。
 
 わたしの父親は、「友達のような」父親ではない。いわゆる「厳しい」父親
である。友達と一緒に出かけるときも、どこへ、誰と、何をしにいくかを言っ
て、さらに門限まであって、その時間以内に帰ってこなければ、鍵を締められ
、締められるから鍵を持って家を出ると、チェーンを掛けられるいう悲惨な状
況になる。これは私が女だからかもしれないが、いくらなんでもいきすぎでは
ないか。ここまで厳しいと、逆に逆らってやろうという気になってしまう。厳
し過ぎても子供は良く育たないと思う。茶髪でピアスをしている私の友達の父
親は、子供に干渉せずに好きにやらせていて、私はそれがとても羨ましかった
りもする。
 
 かぐや姫の養父はかぐや姫がかわいいあまりに月からの迎えが来た時も、家
の外にたくさんの護衛をつけて、家の一番奥にかぐや姫を隠した。それだけか
ぐや姫が大事だったのかもしれない。けれどそんなに大事にしてもらっても、
それは子供にとって鬱陶しい以外の何物でもない。しかし、一般常識は学校で
は教えてくれないため、家で教わるしかない。そんな時は厳しい父親がいいの
かもしれない。ナイフを持って学校へ行き、人を殺めてしまう子供達の多くの
家庭は子供が話しやすい環境ではなかったという。これの大部分は父親が父親
の役割を果たしていないという問題であったらしい。やはり父親というのは大
事なのかもしれない。
 
 子供が正しく成長するためには母親の愛情と、父親の厳しさが必要不可欠で
あるらしい。それは疎ましい物ではあるけれど、社会で通用する人間になるた
めには父親が家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えな
ければならないのかもしれない。世の父親よ、子供に嫌がられても己の思った
道を突き進め!ということだと思った。