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ひとこと
俺らのサングラス
アジサイの広場
たきあし高3
 昔は、サングラスは世間になにか後ろめたいことがある人が使うものだった。それゆえ、サングラ
スをかける人はそういう目を予定してかけていた。しかし最近ではサングラスは一般化し、よりさり
気なく世間から隠れることができるようになった。それは対人関係の煩わしさに疲れた人が増え、行
為自体がより自然になったからだといえる。誰でも自由に自分自身が消せるようになったのだ。  
 以上、要約。次からふつーの小論。
 今日、匿名性は以前に比べるとだいぶ保護されるようになってきた。このことは、例えばエイズの検
査などにおいては非常に有効で、より保健所が利用しやすくなった。しかしそういった利点の反面、
言論の場やインターネットではその隠れ蓑の特性が悪用され、、簡単に犯罪の原因となってしまいや
すい。先日起こった、青酸カリをインターネットを介して入手した事件などは今日のような状況になら
なければ起こり得なかった事件だろう。このような問題に、私達はどのように対処してゆけば良いの
だろうか。
 私達が匿名性を求める原因は、今日の世間の性質に原因があると思われる。今日では私達は数字な
どによって絶対的に判断されやすい。その諸々の世間の目から逃れるために私達は匿名性を求めるの
だ。だから匿名性というのは、単純に犯罪の温床となるからといって無視すべきものではないといえる
。私も自分を隠してインターネットに参加できることである種の気持ち良さを得ている。
 ということはその匿名性で誰でもない個人になった私たち自身の理性が問題だといえる。「旅の恥
は掻き捨て」的な精神が通ってしまう。その事実が私達を犯罪へと駆り立てているのだろう。今後の私
達の求められていることは、どれだけ理性を保ってその誰でもない個人をコントロールできるかとい
うことだ。
 現代を生きる私達にとって匿名性は必要とされる権利となってしまった。しかしその権利が許され
たのち、犯罪へと走ってしまうことは許されない。私達がその隠れ蓑を使ってできることは良い方にも
悪い方にも幅が広がったのだ。今後の社会に必要となることはそんな中でも理性を保っていける、強
い自主規制の意志だといえるだろう。